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第七百八十話 流行 [文学譚]

 洗面鏡の前で目元や髪をもう一度チェックして、仕上げのアイテムを身に付けると、背筋がピンと伸びるような気がする。別に戦いに出かけるわけではないのだけれども、外出するとなるとなんとなく気合いを入れたくなるこのごろなのだ。
  外に出るとすっかり春めいたいい天気で、世の中こんなに平和なんだなぁという気持ちになるのは、おぼろにぼやけた太陽の暖かさのせいだけではなくって、 きっと平日だというのにあたりがとても静かなせいだと思う。ちょっと前までは街路樹のまにまにスズメたちがうるさくさえずりながら飛び交っていたり、道を 横切っていく猫の姿なんかがあったのに、このところすっかり姿を消してしまった。道路を行き交う車両も自主規制によるものなのか、すっかり少なくなってし まった。こんなに静かになったのは、ほんとうに最近のことなのだ。
  買ったばかりのショルダーバッグをちょっと誇らしげに揺らしながら駅へ と歩く。スプリングコートとの色合わせも考えながら選んだバッグだ。今年の流行色、エメラルドグリーンのバッグ。こういうのは滅多に誰かとかぶるようなこ とはないのだけれども、道行く人がみんな一様につけているものだけは、どうしてもお揃いみたいになってしまうのがちょっと恥ずかしい。
  そ う、初期の頃はそんなにおしゃれアイテムの一つにするなんて誰も考えていなかった。ところが、毎日身に付けることが義務づけられてからは、メーカーも考え たものだ。自分のところの製品を使ってもらうために機能だけではなく快適性やお洒落感など、さまざまに工夫を凝らすようになってきたのだ。白一色だった頃 にも、ふざけて口の図柄を描いたようなガジェットもあったけれども、いまはもっと進化して、ファッションブランドとのコラボによるものや、可愛いキャラク ターがあしらわれたものなどが現れた。でもいまの主流はとりどりなカラーアイテムだ。今日の私はバッグとのコーディネイトを考えた淡いグリーンのものをつ けているが、さすがに今年の色だけあって、同じ色を選んだ人は多いみたいだ。すれ違う人も、追い抜いていく人も、五割くらいの女性が似たような色を選んで いる。
  むかし、何かの映画かドラマで見た風景……大気汚染のためにみんなが防毒マスクのような仰々しいものを顔につけているシーンのこと を考えると、ずいぶんそれよりはましだとは思うけれども、なんでこんなものが義務づけられるようなことになってしまったのだろうと今更ながらに思う。お洒 落だかなんだか知らないが、少し歩くと自分の息で暑苦しくなってくるのだ。頭にフィットさせるためのゴムバンドも苛立たしいし。PMなんとかっていう粉塵 が国内で問題になったのはもう何十年も前のはず。規制されてそういう話題も忘れ去られていたはずなのに、いまになって海の向こうからそういうのが飛んでく るなんて。しかも他国のことだから何ともしがたい状況が続いているなんて。でもまぁ、いいか。お洒落を楽しむアイテムがひとつ増えたのだと思うようにしよ う。
 あ、もうすぐ駅だ。今日はどんなお洒落マスクが主流になってるかチェックしよう。
                               了
読んだよ!オモロー(^o^)(1)  感想(0)  トラックバック(0) 
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