SSブログ

第七百八十一話 ずる休み [文学譚]

 特に大きな理由があるわけでもなく、何もしたくなくなってしまうことが誰にだってあるだろう。ただ、天気が悪いからかもしれないし、夕べの酒が残っているからかもしれない。人間はたわいのないことで気力を失ってしまうものだ。
  まだ肌寒い季節に目覚めたとき、窓の外で雨音がしているというのは、それだけで萎えてしまう。寒そうだなぁ、冷たそうだなぁ。傘を差すのも面倒だし、長靴 を履くなんてうっとうしいし。濡れてもいい外出着に着替えるのも面倒だし、もうそこまで想像した時点で、ベッドを出るのすら忌まわしい。仕事があるかどう かなんてどうでもいい。誰かが心配するかもしれないなんて……いや、そういう心配はないか。僕がいないと気づく人すらいないに違いないのだから。とっくに 営業開始時間は過ぎている。それなのに、携帯電話もならなければ、玄関のチャイムを鳴らすものもいない。そりゃあそうだ。僕の家を知ってる人間など亡く なった両親くらいしかいないし、携帯の番号だって。会社の名簿には載っているはずだけれども、そんなもの調べてかけてくる同僚などいない。僕の存在感なん てそんなものなのだ。
  会社に出ていると、お昼になるまでの三時間はとてつもなく長いのだが、家では時計の早さが違うらしい。まもなく十二 時になろうとしている。会社ではみんな普段と何一つかわりなく、そろそろ飯に行こうかなどと話しているのだろうな。僕はもはや腹も減らないし、体を動かす ことすらできない。正午を過ぎて、いつもなら長い午後の時間もあっという間に流れていく。気がつけば雨は止んでいるのに、世間は薄暗く、夕方の静けさが近 づいているようだ。こういうのってずる休みというのかな?
  すっかり日が暮れてからも時間が経つのは早い。テレビをつけるわけでもなく、飯 を食うわけでもなく、ただただベッドの上で一日が終わって、さらに夜は更けて更けてやがてまた夜明けが近づく。僕はやっぱり身動きひとつする気になれな い。ずる休みを決め込んだからには、今さら。
  ずる休み? そう言ってみたものの、ほんとうにそれが言い当てているのかどうかはわからな い。さして理由もなく休むのだから、それはやはりずる休みなんだろうなと思ったからそう言ったのだが、ほんとうはちょっと違うような気もする。無断欠勤と いう意味で、会社から見ればまさしくその言葉がふさわしいのだろうけれども、僕から見れば、そんなものどうでもよい。ずるをしてるつもりはないのだから。
  それに……会社を休みたかったわけではない。すべてを休みたかった。仕事も、遊びも、人付き合いも、買い物も、食べることも、飲むことも、生きること も……。さして理由もなく人生を休んでしまうこと、それもずる休みなのかな。でも、もうどうでもいいや。僕はもうそうしてしまったのだから。
  僕は僕を見ている。僕は薄汚れたベッドの上に横たわったままだ。枕元には空っぽの薬瓶が転がっている。水が入っていたコップは床に落ちてしまったようだ。 こんな状況を多分天井あたりから他人事のように見ている。でもまもなくそれもできなくなりそうな気がする。だって意識が薄れてきているから。
                                了
読んだよ!オモロー(^o^)(3)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。