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第七百八十五話 真夜中のリオ [文学譚]

 いまからする話は、ほんとうにどうでもいい話なので、そのつもりで読んでほしい。つまらないと思ったら、その時点で読むのをやめてしまってもいい。ほんとうに個人的なつまらない話だから。
 僕はいま、毎日何か小説のような文章を書くという訓練を自分に課しているのだが、毎日のこととなると話題というか、ネタが尽きてしまって困ることがある。だから、何かしらネタになりそなことを思いつぃたら、せっせとメモしておくようにしているのだ。昔なら手帳なんかに書いておくのだろうけれど、いまはスマートホンなる便利な道具があって、それは電話やメールを送るだけではなく、登録しているアプリケーションでなんだってできてしまうのだが、そのアプリの中にメモという類の者があるのだ。スマホは常に持ち歩いているので、電話番号にしろ予定にしろ、全部この機械の中に収めている。当然のことながら、思いついたメモ書きなども、このアプリに書き込んでおくのが習慣なのだ。
 ところが、紙でできている手帳などと違って、書き込んだメモはアプリを立ち上げなければ見れない。手帳なんかだと、何かの表紙にパラパラっとめくってみたりするものなのだが、アプリの場合はいちいち立ち上げて、目的の頁を探し当てる必要がある。そこで、頁毎に見出しなどをつけておくのだ。
 ネタを書き込む頁のタイトルには日付の後に「ネタ」とそのまんまの言葉をつけている。これらを見るときはたいていネタに困ったときで、比較的最近のものから見ていくのだが、たまに暇つぶしがてらずーっと遡って見ることがある。いまもそうしていたら、ひと月ほど前の日付のところで見つけたのが「真夜中のリオ」という言葉だった。
 真夜中のリオ。はて、これはなんであったか。まったく思い出せない。どういうつもりで書いたのだったか思い出せないことはままあるのだけれども、なんとなくその時にいいことを思いついたはずなんだがなぁ、といった記憶はうっすらとあるものだ。書いたような記憶があるのに、何を思ってかいたのかは思い出せない。そうしたメモ書きがズラズラと並んでいたりする。だが、この「真夜中のリオ」などという言葉はちょっと印象的だと思われるのに、なんのことだか。たったひと月前のことなのに、自分が考えたことがさっぱりわからないというのも気持ちが悪いもので、僕は一生懸命に思い出そうとした。
 真夜中は、夜のことなんだろう。ほかに何らかの意味があるはずがない。でも、リオというのは? 最初に思い当たるのはブラジルのカーニバルだ。何かそういう映画か記事でも見たのだろうか。うーむ、そういう記憶はないな。リオのカーニバルに興味を持ったことはあるが、それはもっと昔のことだ。でもリオといえばそのくらいしか……。もしかしてあの白いライオンのアニメのことだろうか。いやいやそれは「レオ」だ。真夜中のリオ、まよなかのリオ……あーっ、思い出せない。
 まさか妻に聞いてもわからないだろうなと思いつつ、藁を掴む思いで聞いてみた。
「ねぇ、サチコ。ちょっと変な質問だけど……どうしても思い出せないんだ。きっと聞いてもそんなことわかるわけがないと言うに違いないけど、聞いてみてもいいかい?」
「何よ。また自分で書いたメモのこと?」
「う、うん、そうなんだけど」
「ほんとうにあなたはバッカね。いいわよ、言ってみて」
「そうか、悪いな。あのな、ここにこんなことが書いてるんだけど」
「早く言ってよ」
「うん、真夜中のリオ」
「それ、いつ書いたの?」
「えーっと、一ヶ月前」
「あなた忘れたの? その人のこと」
「え? その人?」
「そうよ、居酒屋であったじゃない。その人と」
「これって、人の名前なのか?」
「まだわからないの? 名刺をもらって、あなたあとから面白い名前だって、妙にはしゃいでたじゃない」
「そうだっけ?」
「そうよ」
「うーむ。真夜中のリオ……」
「違うわよ。前中さん、まえなか則夫」
「まえなかのりお……」
                                      了
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