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第七百七十二話 短編 [文学譚]

 人は誰でも自分自身の物語を持っている。事実は小説より奇なりというほどのものはないとしても、その人の中ではとんでもなくユニークな話だったり、誰かに聞かせたい話だったりするものだ。だが、ほとんどの人はその物語を誰かに伝えることなく、あるいは世間話で終わらせるだけで、そのうち心の中の単なる想い出として埋もれて生き、いつしか忘れ去ってしまう。
 もちろん、長寿と言われるほど長生きした人間には、長く生きた分だけより多くの物語が積もり積もっていることだろうし、生きた年月にかかわらず、人一倍濃い人生を歩んだ人間にもまた多くの逸話が潜んでいることだろう。この自分の中の物語をどうしても語りたいと切望した者が作家を目指したり、語り部になろうとしたりするのだろう。
 人の人生は長い。だからその人の人生の物語を語るとなれば、さぞかし長い物語になることだろう。が、実際には語られる話は、長い人生の中のほんの一瞬の出来事だったりする。この瞬きのような物語は、短編というこじんまりした掌編として世に現れることになるのだろう。
 短編小説とはなにか。一般的には原稿用紙にして百枚前後のものが短編小説とされる。もっと短い小説もあるが、それらはショートショートという名前で別に語られる。いずれにしても、大河小説のように様々な登場人物による複雑な人間模様が語られる長編小説と違い、短編に出てくる人物は数少なく、同時によりシンプルで明確な文脈で語られる。それだけに、個々の言葉に深い意味が込められたものが優れた短編だと受け止められるし、それ以上に小説のタイトルにはより大きな意味が込められる。短編小説、とりわけショートショートではタイトルの持つ役割がとても大きいといわれているのだ。
 人には誰にでも自分自身の物語があると、最初に書いた。では、生まれてまもなく逝ってしまった赤児にも物語があるのだろうか。彼、彼女はまだ言葉も知らなかっただろう。それでも生まれてきた瞬間に、誕生という物語を背負って生まれ、もちろん命の灯火が消えることによってまた短命という名の物語を紡ぐことになる。それらを語るのは本人ではないに違いないが、この世に生まれてすぐに死んでしまっただけで、少なくとも二つの物語を語ることができるのだ。
 短い命によって語られる極めて短い物語。これこそが短編小説と言わずして、何を短編と呼ぶ? 言葉を持たぬ存在であるかもしれないが、それは母が、父が語ってくれるだろう。まだ人間としての意識も自覚もない赤児であったとしても、この世に生まれてきた証として、是非語ってもらいたいのだ。
 小さなベッドの中で身動きも出来ないまま、わたしは芽生えつつある意識が成就することなく消え去ろうとしているということにさえ気がつかないような存在なのだが、それでも母と父に、わたしの物語を残して欲しいという想念だけが消えゆく命の中にいつまでも燻っていた。
                                了
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