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第七百九十話 気の利いた台詞 [文学譚]

 近ごろ歳がいったからか、妙に涙腺が弱くなってしまって、ドラマなんか見ているとすぐに涙ぼろぼろになってしまう。ひとりで見ている分には別になりふり構わずティッシュで拭いて鼻をかみゃぁいいのだけれども、カミさんや子供が一緒に見ている時など、涙してるのをごまかすのがたいへんなのだ。まぁ別に泣いてるところを見られて不都合はないけれども、液晶画面に向かって大の男がわうわう泣いている姿など、彼らだって見たくはないと思うんだな。ときどき、こっそり涙を拭おうとしていたら、カミさんも同じように泣いていて、ふたりで笑ってしまうってことはあるけれどもね。
 仕事仲間のやっちゃんと昼飯を食いながらそんな話をしていたら、やっちゃんはそういうドラマなど一切見ない男で、じゃぁいったい何を見てるんだいと訊ねると、野球とか相撲を見ているそうだ。まぁ、興味がないのなら仕方がないが、そんな男にドラマの話をしてしまったものだから面倒くさいことになった。
「ふーん。で、そんなテレビとか見ててなんで泣くんだ?」
「なんでって……そりゃぁいい話だからだよぉ」
「いい話ってのは何か? テレビん中で誰か知らない奴が幸せになるってんだろ?」
「まぁ、そういうことだけど、幸せになるから泣くわけではないなぁ。誰かが死んだり、たいへんな目にあってたり、そんな話を見て泣くんだなぁ」
「ふぅん。やっぱり、他人の不幸は蜜の味って言うからなぁ」
「蜜の味? わしが人の不幸を楽しんでいると?」
「違うのか? でも、近いもんがあるだろ? え?」
「いやぁ……そうかなぁ……いや、不幸とかなんとか言ったけど、実際のところは、出てくる人間の言葉に勘当したりするんだなぁ」
「言葉って、あの、セリフとかいうやつか?」
「そうそう、セリフ。名台詞」
「ほぉ、たとえばどんな?」
 どんなと聞かれてすぐに思い出すほどいい頭はしていない。
「ええーっと。そんな急に聞かれてもなぁ。名台詞っちゅうのはあるんだがなぁ」
 隣で聞き耳を立てていた経理課の福本女史が口を挟んできた。
「『愚かなほどに愛している』、『色鉛筆と同じ。大事なものから、先になくなるの』」
「お、お。なんだなんだ? 福ちゃんもドラマ好きか?」
「当たり前じゃない。最近いいドラマが多くて困っちゃう」
「今のがその名台詞ってやつか? なるほどそんなんなら、俺だって知ってるぜ」
 やっちゃん、福ちゃんの参戦に急に積極的に会話をふくらませてきた。
「『桜があんなに潔く散るのは、来年も咲くのわかってるから』、『相手を信じねぇってことは、相手からも信じられねぇってことだ』、どーでぃ」
「おま、野球しか見ないって言っときながらなんで、そんな」
「まぁ、俺は賢いからよ、このくらいのことならなんでも知ってるぜ」
「ひゃぁ、やっちゃんさん、かっこいい」
 福ちゃんにおだてられて、やっちゃんはさらに調子にのって、主人公に成りきったような演技っぽい調子で続けた。
『どこか一つでも似てるところがあれば、旭の中に自分が生きてると思えると思わないか?』
『子供の悲しみを呑み込み、子供の寂しさを呑み込む海になれ。』
『ならぬことはならぬのです』
 三つ立て続けに演じて見せてからやっちゃんは得意そうに鼻をふくらませた。
「おま、ほんとうは見てるだろ、ドラマ」
「いいや。あんな女々しいもん、俺は見ねえ」
「ならどうしてそんなに知ってるんだ?」
「どうしてって、こんなもん、ネットで調べればちょちょいと出てくるわな」
「ネットでって、お前いま、いつネットで調べた?」
「俺じゃねーよ、そこにいる書き手さんが調べたんだよ」
「そこにいる? 書き手さん? それ、誰のことだ?」
「ま、そんなこといいじゃん。そんなことよりさ、普通、こんな小洒落た台詞がぱっと出るもんか?」
「普通は無理だな、ああいうのは、ドラマの中だから」
「だよな。ドラマの中じゃなければ、ああはいかない」
 また福本女史が口を挟む。
「そうよね。いまここでやっちゃんさんやおっさんが急にかっこいい台詞を決めたらすごいわよね」
「事件は会議室で起きてるんではない、現場で起きてるんだ!」
「同情するなら金をくれ」
「僕は死にましぇん!」
 わしらは順番に知っている台詞を並べ立てた。福ちゃんの関心を惹くために。だって、福本女史は若くて美人なんだから。
「それってぜんぶ人の台詞じゃない。そんなのだめよ。オリジナルでなくちゃ。今ここでぱっとしゃべるオリジナル」
「そ、そんなの無理無理」
 わしらは口を揃えてそう言った。
「でもさ、ドラマの中では、いまのようなタイミングでも、ぱっといいこというよね、オリジナルの」
「そりゃぁ……さっきもやっちゃんが言ったけどよ、そこがドラマっちゅうやつじゃないか」
「でも、テレビの中では、さも即興のように言うでしょ? あれはいったい誰が言わせてるのよ」
「誰がって、そんなもん、作家先生に決まってるじゃないか」
 やっちゃんも付け加える。
「作家先生が何日もかかって考えた一言を、テレビの中で言うんだもんなぁ。そりゃぁ決まるぜ」
 福本女史は、真面目な顔をしてわしらの顔を見つめて言った。
「ふぅん。でも、ここだって……誰かが書いてるお話の世界でしょ? どうして気の利いた言葉とかがないのかしら。やっちゃんさんが言うように、何日もかけて気の利いた言葉を考えてるのなら、ここにいる私たちだって、そういうカッコイイ台詞を言わせてもらってもいいんじゃないのかな?」
 すると、どこからともなく三人の誰でもない声がした。
『そんなもん、私はいま書きながら考えてるんだもん。そんな何日も考えてらんないもん。毎日一話書くの、大変なんだから、もう! わがまま言わないで!』
 声を聞いたわしとやっちゃんと福本女史。三人は驚いてそのままフリーズしてしまった。
                                 了

 

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