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第七百七十三話 罪悪感 [文学譚]

 またやってしまった。もうしないと決めたことなのに。深夜遅くまで起きているからいけないんだと、そう思う。だが、宵っ張りの習慣を止めることはもっと難しい。すべてを一度にやめることができるのなら、それに越したことはないのだろうけれども、意志力の弱いわたしに、そんなことをできるわけがない。だから、まず最初にやめるべきことをやめようと心に誓ったのだが。

 誘惑というものには抗い難いものだとは、何度も失敗した経験から知っていた。それでも止めなければならないと思う。すべての人に同じ誘惑が襲いかかるとは思わないが、とにかくわたしは夜になると心がむずむずしてきて、どうしても誘惑に負けてしまうのだ。一度破られた誓いにはもはや抑制は効かない。もうどうにでもなれ。そう思ってしまうからだ。わたしはダメな人間だ。自分で決めたことができないなんて。どうせダメなんだったら、もういい。誓いなんか糞くらえだ。そう思ってまた獲物に手を出してしまう。何度も、何度も。そしてあくる朝になるとまたひとり落ち込んでしまうのだろう。夕べ行った行為のために汚れた口の周りを、鏡の前で発見して、今日こそは、今夜こそは、誘惑に負けない!きっとまたそうやって無駄な誓いを立て直すだろう。なんて馬鹿なのだ。なんて無様なのだ。

 惨めな気分で目覚めることまで想像しながらも、今夜はもう仕方がない。してしまったことは変えられない。自分で自分に言い訳しながら、床の上に張り付いたままの重い尻を持ち上げる。ゆらりと立ち上がって、獲物が置かれたままになっているテーブルに向かう。そこに投げ出されたままになっているナイフ。震える手でナイフを掴んで、再び獲物に突き立てる。

 少しだけ。少しだけなら……いや、もはやそういう問題ではない。少しであろうとなかろうと、やってしまったことに変わりはないではないか。頭の中で二つの思いが言い争う。でも。いや。しかし。やっぱり。とはいえ。それでも。頭の中の争いを無視するかのように、勝手に手が動く。獲物に突き立てたナイフの位置を測り直して、ずぶりと切り下ろす。ああ、また。しかしもう引き返せない。結局、遠慮がちに切り裂いた獲物の一部を手でつかんで眼を瞑る。もう考える力などない。勝手に手が動いて獲物を口の中に押し込む。ゆっくりと咀嚼する上下の顎。わたし自身は脱力する。

 ああ、幸せ。この幸せのためならば、誓などもうどうでもいい。一瞬にしてすべてが無に変わる。そしてその数分後にはまたしても後悔の念が襲ってくる。わたしはダメだ。ダメ人間だ。ぷよぷよした下腹に視線を向けながら思う。もうやめた。無理なことをしようとするから落ち込むんだ。そうだ。無理なことはやめたほうがいい。

 明日の朝になったらまた考えが変わるかもしれない。でも、今夜のところはもう何を言ってもはじまらない。済んでしまったことだ。ダイエット中なのに、チョコレートケーキなど買ってしまう馬鹿な自分がいけないんだ。

                                          了


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