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第七百七十話 終の言葉 [文学譚]

 才色兼備とは、母のためにあるような言葉だった。美貌に関しては、身内のことであるから客観的に判断できないが、少なくとも歳老いてからも母の肌艶は若々しく保たれ続けていたというのは紛れもない事実だ。病床に臥せってからでさえ、色白な素肌は皺も少なく輝き続けていた。それは持って生まれた肌のきめ細やかさということよりは、常に手入れを怠らなかったということに由来するものだろうと思う。母の遺伝子も受け継いでいるはずのわたしはといえば、誠に残念というよりほかはなく、肌のキメは荒いし、目鼻は大作りであるし、無様とまでは思わないが、日本女性の繊細さが具現化されたような母の姿とは似ても似つかないのである。
 母について語りたいことは、姿形についてではなく、むしろ才色の方についてだ。いまは主がいなくなった家には、いくつもの油絵が飾られている。静物や父の面影、風景など、点数は十枚に満たないが、これらはすべて晩年になってから母が手習いに描き貯めたものだ。まったくの素人であるのに、壁面を汚さない程度に素晴らしく描けている。油絵の前には習字の手習いもしていた。さらに言えば、むしろ教える側に立てたであろう技術を持っていたのが編み物と裁縫だ。どちらも女学生の頃から長年続けてきたものであり、細い糸を用いたレースの編み物などは芸術品に近いのではないかと思う。わたしが頼めば、どんなものでも形になった。レース編みのマーガレットやストールはたやすいもので、毛糸編みのジャケットやロングコートまでも仕上げてしまったのには驚いた。わたしはその母の技術を手に入れたいと指南を受けたが、一時間も立たず音を上げた。練習道具も持ち帰ったが、結局何もモノにはならなかった。こういうものは、大人になってからはじめようとしても、なかなか手につかないものだ。
 こんなふうに、わたしと母は、親子でありながらなにひとつ似たところがなかった。若い頃、もしや実の子供ではないのではないだろうかと訝しんだこともあったのだが、その時は馬鹿ねぇと笑われてしまった。だが、年齢を重ね、母の年齢に近づけば近づくほど、親子としての類似性がかけ離れていることを思い知らされる場面が多かったのだが、かつてわたしの心にあった少女のような繊細さが擦り切れてしまっているがために、気にすることもなく長い年月を過ごした。
 病床の母は、終の息を吐き出す直前になって、わたしを枕元に呼んだ。どうしたのか、苦しいのかと危ぶんだが、そういうことではなく、何か伝えたいことがあるのだった。朦朧とした眼がわたしに向けられ、乾いた唇がなんども震えて、ようやく言葉がこぼれる。
「あのな、いつかあんた、わたしに……訊ねたなぁ。ほんとうの子供なんかって……あのときなぁ……笑うて誤魔化……した」
「なに言ってるの、お母ちゃん?」
「ほんまはなぁ、ほんまは、あんた……けほっけほ……」
「なに? ほんまはなに……?」
「……あれ? ……忘れた」
「お母ちゃん、ほんまはなんなん?」
 母はそのまま眠りについてしまい、それから二度と口を開くこともなく、翌日息を引き取った。父はずっと早くに亡くしており、もはや母の言葉を問いただす相手はいない。わたしはいったいなんなのだろう。母の一言で大昔の疑問が不意に浮上してしまったのだが、いまさらなんともし難く、母とはちっとも似ていない娘に関する謎など、追求してみたところでなにも生まれないだろう。わたしはあの日の母の言葉はただの譫言であったと信じ、結局大切なことはなにも聞かなかったと思い込むことに決めた。
                                 了

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