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第七百八十六話 俺じゃない俺たち [文学譚]

 大学に着くなり、哲哉が俺を見つけて近づいてきた。
「よおよお、またあの変な顔しろよ」
 言いながらスマホのカメラを向けてきた。
「勘弁しろよ。お前、ちょっとおかしいんじゃねーかよ」
「まぁ、いいじゃん。撮らせてよ。あの顔しろよ」
 俺は、まったくもうと思いながら、怒りの表情を作って哲哉のスマホを取り上げようと手を伸ばした。
「へへっ、それそれ。いただきっと」
「おめえ、変な奴」
 哲也は写メオタクだ。最近は写メではなく写ムービーっていうんだろうか、動画に凝っているようだ。スマホで撮影して動画投稿サイトMeTubeに送るのだそうだ。何が楽しいんだか。
「何がって、俺が撮った動画をよ、全世界の人間が見るんだぜ。世界配信!」
「なぁにが世界配信だ。いったいお前の動画を何人が見てるっていうんだよ。この学校の中でさえ誰も見てねぇぜ」
「やな言い方するな、お前。ところでさ、お前、ほかの奴にも撮られたか、最近?」
「ええ? いいや。俺の動画なんて撮るの、おめぇくらいだぜ」
「ふーん。だけどなぁ……ほら、ここ、見てみ」
 哲也はスマホでMeTubeのサイトを出して俺に見るようにと差し出した。そこにはどこかの若者が道端で騒いでいる様子が映し出されていた。どうやら若い男が喧嘩をしているようなのだが、そのうちのひとりにカメラが近づいていくと、そいつはものすごく怒った顔をしてカメラに手を伸ばした。
「ほら。これってお前だろ? 違うか?」
 確かにその若い男は俺にそっくりだった。そっくりというより、着ている服の趣味も、髪型も、俺そのものだった。
「ほかにもあるぜ。ほら」
 今度は海を背景に漁師の姿をした若い男が東北弁丸出して罵り合いながら殴り合っていた。その一人はやはり俺にそっくりで、最後には「よぐね、も、っととぱれぇ」かなんか言って恐い顔をしながらカメラに手を伸ばした。
 どうやって探し出すのだか哲哉は動画オタクのチカラ技で俺にそっくりな人間を映し出した動画を次から次へと手品のように俺につきつけてきた。
「これって……お前が撮ったんじゃ……ないよな……」
「あほか。俺がいつどこでお前を撮影したかってのは、お前も知ってるだろが。それに、この最後のなんか、これって日本じゃねえぜ」
 確かに最後のはエッフェル塔らしきものが背景に映し出されていた。
「お前、フランスにいつの間に行ったんだ?」
「行ってねぇ行ってねぇ。これって俺じゃねぇ」
「そんなこと言ったって、これはお前そのものじゃないかよ。この、恐ろしい形相も、最後にカメラを取り上げようとする手の伸ばし方も」
「……だよな……。いったいどういうこと?」
「日本のあちこちにどころか、フランスにまで」
「俺の偽物?」
「それって、ドッペルゲンガーよ」
 いつの間にそこにいたのか、俺の後ろからスマホを覗き込みながらホラーオタクの京子が言った。
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第七百八十五話 真夜中のリオ [文学譚]

 いまからする話は、ほんとうにどうでもいい話なので、そのつもりで読んでほしい。つまらないと思ったら、その時点で読むのをやめてしまってもいい。ほんとうに個人的なつまらない話だから。
 僕はいま、毎日何か小説のような文章を書くという訓練を自分に課しているのだが、毎日のこととなると話題というか、ネタが尽きてしまって困ることがある。だから、何かしらネタになりそなことを思いつぃたら、せっせとメモしておくようにしているのだ。昔なら手帳なんかに書いておくのだろうけれど、いまはスマートホンなる便利な道具があって、それは電話やメールを送るだけではなく、登録しているアプリケーションでなんだってできてしまうのだが、そのアプリの中にメモという類の者があるのだ。スマホは常に持ち歩いているので、電話番号にしろ予定にしろ、全部この機械の中に収めている。当然のことながら、思いついたメモ書きなども、このアプリに書き込んでおくのが習慣なのだ。
 ところが、紙でできている手帳などと違って、書き込んだメモはアプリを立ち上げなければ見れない。手帳なんかだと、何かの表紙にパラパラっとめくってみたりするものなのだが、アプリの場合はいちいち立ち上げて、目的の頁を探し当てる必要がある。そこで、頁毎に見出しなどをつけておくのだ。
 ネタを書き込む頁のタイトルには日付の後に「ネタ」とそのまんまの言葉をつけている。これらを見るときはたいていネタに困ったときで、比較的最近のものから見ていくのだが、たまに暇つぶしがてらずーっと遡って見ることがある。いまもそうしていたら、ひと月ほど前の日付のところで見つけたのが「真夜中のリオ」という言葉だった。
 真夜中のリオ。はて、これはなんであったか。まったく思い出せない。どういうつもりで書いたのだったか思い出せないことはままあるのだけれども、なんとなくその時にいいことを思いついたはずなんだがなぁ、といった記憶はうっすらとあるものだ。書いたような記憶があるのに、何を思ってかいたのかは思い出せない。そうしたメモ書きがズラズラと並んでいたりする。だが、この「真夜中のリオ」などという言葉はちょっと印象的だと思われるのに、なんのことだか。たったひと月前のことなのに、自分が考えたことがさっぱりわからないというのも気持ちが悪いもので、僕は一生懸命に思い出そうとした。
 真夜中は、夜のことなんだろう。ほかに何らかの意味があるはずがない。でも、リオというのは? 最初に思い当たるのはブラジルのカーニバルだ。何かそういう映画か記事でも見たのだろうか。うーむ、そういう記憶はないな。リオのカーニバルに興味を持ったことはあるが、それはもっと昔のことだ。でもリオといえばそのくらいしか……。もしかしてあの白いライオンのアニメのことだろうか。いやいやそれは「レオ」だ。真夜中のリオ、まよなかのリオ……あーっ、思い出せない。
 まさか妻に聞いてもわからないだろうなと思いつつ、藁を掴む思いで聞いてみた。
「ねぇ、サチコ。ちょっと変な質問だけど……どうしても思い出せないんだ。きっと聞いてもそんなことわかるわけがないと言うに違いないけど、聞いてみてもいいかい?」
「何よ。また自分で書いたメモのこと?」
「う、うん、そうなんだけど」
「ほんとうにあなたはバッカね。いいわよ、言ってみて」
「そうか、悪いな。あのな、ここにこんなことが書いてるんだけど」
「早く言ってよ」
「うん、真夜中のリオ」
「それ、いつ書いたの?」
「えーっと、一ヶ月前」
「あなた忘れたの? その人のこと」
「え? その人?」
「そうよ、居酒屋であったじゃない。その人と」
「これって、人の名前なのか?」
「まだわからないの? 名刺をもらって、あなたあとから面白い名前だって、妙にはしゃいでたじゃない」
「そうだっけ?」
「そうよ」
「うーむ。真夜中のリオ……」
「違うわよ。前中さん、まえなか則夫」
「まえなかのりお……」
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第七百八十四話 踊り場にて [文学譚]

 鉄の扉を開けると別世界が広がる。無機質な鉄骨が丸出しになったような階段が上下に伸びている。私がいるフロアは十階なので、ちょうどビルの真ん中あたりになる。ビル全体としては雑多なテナント企業が入っているうちの、三つのフロアを専有しているのが我社だ。受付や顧客サービス部門が一番下にあり、真ん中のフロアには庶務関係の部署、一番上が営業フロアとなっているのだが、用事のある部署へいくために三つもフロアを行ったり来たりする。普通はエレベーターを使うのだけれども、私は健康のために階段を使うようにしている。さすがに一階まで階段で降りようとは思わないが、ひとつふたつ下の階に行くくらいなら、せめて階段を上り下りして、普段の運動不足を解消しようと思っているからだ。
 今日もいつものように階段を使うために鉄扉を開けたのだが、階段を降りかけてあれと思った。半階下の踊り場に誰かがいるのだ。見たことのない制服を着た女性だ。どこかよその会社の従業員なのだろう。階段を使っている人が他にもいるのは当たり前だ。ときどき階段ですれ違ったり、誰かの背中を見ながら降りていったりということはある。だが、今そこにいる人は、上がりも下がりもしていない。バッグのようなものを下げてただ階段の踊り場に立っているのだ。
 踊り場でじっと佇んでいる人というのは、なんだか奇妙だ。移動の途中で何かを思い出して立ち止まってしまったとか、携帯電話が鳴りだして止まって話をはじめたとかならわかるのだが、その人は床に落ちたものを拾おうとしているわけでも、携帯電話も持っているわけでもない。ただそこに立っているのだ。最初は奇妙だと思った感情はすぐに気味悪いという感情に変化して、私はその人からは半階上の扉の前に立ったまま身動きできなくなってしまった。佇んでいる人をじーっと見つめたまま、早く下にでも降りてくれたらいいのにと考えていた。
 よく見ると彼女は、ただ立っているのではなく、私からは見えない階段の下に眼を向けている。何かをじーっと見つめているようなのだ。私はますます気味が悪くなった。こんな無機質で寒々とした階段のところに、いったい誰が好き好んで立ち尽くす? きっとなにか訳があるに違いないのだが、知らない人だけに不用意に声がかけられない。もし、何か訊ねたとして、こんなところに佇んでいる女性が危ない人間ではないという保証がどこにある? いやいやこんなビルの中に勤めている人間に、そんなおかしな人がいるものか。いや、でも。社会はストレスに満ちているから、彼女はペーパーナイフか何かを隠し持っていないとも限らないし。私は蛇に魅入られた鼠のように、まだ扉の前で立ち止まっている。すると、上階から降りてくる足音が響いた。
 カン、カン、カン。
 足音は、半階上の踊り場のところで止まった。知らない顔の背広姿の男だ。手に書類を持っている。この男も健康のために階段を使っているのだろうか。だが、知らない顔ということは、我社の人間ではないな。いったどこの階からどの階まで行くつもりなのだろう。薄暗がりに男の顔が見える。男はなぜだかぎょっとした表情で私を見つめている。眼を見開いたまま半階上の踊り場で立ち止まり、じっーっと私を見つめ続けている。
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第七百八十三話 罹病 [日常譚]

 まさか自分がこんな病気になるとは思ってもみなかった。
 医者にかかっているわけではないのだけれども、ネットで調べてみてすぐにこれは病気だとわかった。自分の身体のことは自分が一番よくわかっているつもりだ。咳が止まらないわけでも、出血しているわけでもないが、これはもう間違いなく病気だ。
 父は十三年前に腹部動脈瘤破裂で亡くなった。その以前からあちこち悪く、肝臓癌だったり、脳梗塞だったりが心配されていたのだが、最後の最後に意外な部分が唐突に悪化してそうなった。肝臓も動脈瘤も、おおむね食生活や経年によるものだから、私にも起こりうるけれども遺伝するようなものではない。しかし癌は……母は三年前に肺癌で亡くなった。煙草など吸ったこともないのに肺癌で。私は少々喫煙する。その上癌には遺伝性があるという。だから、もしかしたら私にも癌が出来るかもしれないという危惧は持っていた。
 だが、癌に罹るより先に、別の病気になってしまうとは。
 手が震える。居てもたってもいられなくなる。これはある種の前触れだ。いや、発作なのかもしれない。この前兆がはじまると、もはや自分の意思ではなく、身体が勝手に動いて手元のスマートフォンに手を伸ばす。そうして虚ろな意識のままでブラウザを立ち上げて、めぼしいサイトを次々と巡っていく。とくに目的などないのに、ふらふらとあっちを見たりこっちを眺めたり。少しでも琴線に触れるものを見つけると、食い入るようにブラウザに現れているその記事を隅から隅まで舐めるように見て、ついには四角いあるいは丸いボタンにカーソルを併せて押してしまう。これでまた三千円。その前には千九百八十円。
 毎回、ボタンを押したモノの金額は知れているが、ちりも積もればなんとやらで、月末にはきっととんでもない請求額が提示される。
 もうこれは病気だ。四六時中スマホを見ずにはいられないという、端末中毒。そして、常に何かを買い続けるという買い物中毒。ダブルの病を背負って、さらに次の合併症が私に襲いかかって、きっと私はそのうち死んでしまうだろう。私に死をもたらす三つ目の病は……金欠病だ。
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第七百八十二話 一人立ち [文学譚]

  毎朝、食後にはお散歩に出かけるのが習慣だ。時刻は決まって七時だ、と言いたいが、実は時計を見る習慣は なく、とにかくだいたい同じような時刻なのだと思う。お散歩のコースもおおむね決まってはいるけれども、その日の気分で違う道を歩く。以前はお父さんかお 母さんと一緒だったけれど、いまは一人歩きだ。
  あの頃、お父さんが僕を一人で歩かせたらどうだと言ったけれど、お母さんが猛反対した。車 の行き来も多いこんな町中で、大広を一人で歩かせるなんてとんでもない、そう言って怒った。僕は二人のやりとりを黙って聞いていたが、内心では一人でも大 丈夫なのに、と思っていた。その証拠にいまはこうやって一人でお散歩できているわけだし。
  昔と違って、このあたりは寂れてしまって、車は おろか人通りもなくなった。ずーっと先まで歩いてようやく人の姿がまばらに現れ、さらにいくとお店も開いている。以前、お父さんと何度も遠出したときに買 い物をしたお店のご主人は、僕のことを覚えていてくれた。コロッケがおいしいお肉屋さんでも、自家製で焼きたてが評判のパン屋さんでも、僕の姿を見つける と「おやまぁ、一人でお遣いかい? 賢いねぇ」と言って余ったお肉やパンの耳を持たせてくれるのがありがたい。もちろん、そういうつもりで顔を出したのだ けど、お父さんはこのために僕を連れてきてくれていたのかなと思い出してしまう。
  おかげさまで帰り道は持ってきた袋にたくさんのお土産を 提げているので少し重たい。でもこれのおかげで生きていける。お父さんもお母さんも、あの日突然いなくなってしまって、ひとりぼっちにされてしまった。最 初は寂しくてしかたなかったけれども、いつしか寂しさよりも生きていかなきゃという気持ちが強くなった。頑張らなきゃ。それにしてもお父さんもお母さん も、どこに言ってしまったのかな? それにこのあたりの人たちも。前から野良だった友達は、やっと自由になれて良かったじゃんって言うけれど、僕はやっぱ りお父さんやお母さんと一緒にいるのが好きだったな。近頃ではあのリードで引っ張られる感じが懐かしくって仕方がないよ。やっぱり寂しいな。
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第七百八十一話 ずる休み [文学譚]

 特に大きな理由があるわけでもなく、何もしたくなくなってしまうことが誰にだってあるだろう。ただ、天気が悪いからかもしれないし、夕べの酒が残っているからかもしれない。人間はたわいのないことで気力を失ってしまうものだ。
  まだ肌寒い季節に目覚めたとき、窓の外で雨音がしているというのは、それだけで萎えてしまう。寒そうだなぁ、冷たそうだなぁ。傘を差すのも面倒だし、長靴 を履くなんてうっとうしいし。濡れてもいい外出着に着替えるのも面倒だし、もうそこまで想像した時点で、ベッドを出るのすら忌まわしい。仕事があるかどう かなんてどうでもいい。誰かが心配するかもしれないなんて……いや、そういう心配はないか。僕がいないと気づく人すらいないに違いないのだから。とっくに 営業開始時間は過ぎている。それなのに、携帯電話もならなければ、玄関のチャイムを鳴らすものもいない。そりゃあそうだ。僕の家を知ってる人間など亡く なった両親くらいしかいないし、携帯の番号だって。会社の名簿には載っているはずだけれども、そんなもの調べてかけてくる同僚などいない。僕の存在感なん てそんなものなのだ。
  会社に出ていると、お昼になるまでの三時間はとてつもなく長いのだが、家では時計の早さが違うらしい。まもなく十二 時になろうとしている。会社ではみんな普段と何一つかわりなく、そろそろ飯に行こうかなどと話しているのだろうな。僕はもはや腹も減らないし、体を動かす ことすらできない。正午を過ぎて、いつもなら長い午後の時間もあっという間に流れていく。気がつけば雨は止んでいるのに、世間は薄暗く、夕方の静けさが近 づいているようだ。こういうのってずる休みというのかな?
  すっかり日が暮れてからも時間が経つのは早い。テレビをつけるわけでもなく、飯 を食うわけでもなく、ただただベッドの上で一日が終わって、さらに夜は更けて更けてやがてまた夜明けが近づく。僕はやっぱり身動きひとつする気になれな い。ずる休みを決め込んだからには、今さら。
  ずる休み? そう言ってみたものの、ほんとうにそれが言い当てているのかどうかはわからな い。さして理由もなく休むのだから、それはやはりずる休みなんだろうなと思ったからそう言ったのだが、ほんとうはちょっと違うような気もする。無断欠勤と いう意味で、会社から見ればまさしくその言葉がふさわしいのだろうけれども、僕から見れば、そんなものどうでもよい。ずるをしてるつもりはないのだから。
  それに……会社を休みたかったわけではない。すべてを休みたかった。仕事も、遊びも、人付き合いも、買い物も、食べることも、飲むことも、生きること も……。さして理由もなく人生を休んでしまうこと、それもずる休みなのかな。でも、もうどうでもいいや。僕はもうそうしてしまったのだから。
  僕は僕を見ている。僕は薄汚れたベッドの上に横たわったままだ。枕元には空っぽの薬瓶が転がっている。水が入っていたコップは床に落ちてしまったようだ。 こんな状況を多分天井あたりから他人事のように見ている。でもまもなくそれもできなくなりそうな気がする。だって意識が薄れてきているから。
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第七百八十話 流行 [文学譚]

 洗面鏡の前で目元や髪をもう一度チェックして、仕上げのアイテムを身に付けると、背筋がピンと伸びるような気がする。別に戦いに出かけるわけではないのだけれども、外出するとなるとなんとなく気合いを入れたくなるこのごろなのだ。
  外に出るとすっかり春めいたいい天気で、世の中こんなに平和なんだなぁという気持ちになるのは、おぼろにぼやけた太陽の暖かさのせいだけではなくって、 きっと平日だというのにあたりがとても静かなせいだと思う。ちょっと前までは街路樹のまにまにスズメたちがうるさくさえずりながら飛び交っていたり、道を 横切っていく猫の姿なんかがあったのに、このところすっかり姿を消してしまった。道路を行き交う車両も自主規制によるものなのか、すっかり少なくなってし まった。こんなに静かになったのは、ほんとうに最近のことなのだ。
  買ったばかりのショルダーバッグをちょっと誇らしげに揺らしながら駅へ と歩く。スプリングコートとの色合わせも考えながら選んだバッグだ。今年の流行色、エメラルドグリーンのバッグ。こういうのは滅多に誰かとかぶるようなこ とはないのだけれども、道行く人がみんな一様につけているものだけは、どうしてもお揃いみたいになってしまうのがちょっと恥ずかしい。
  そ う、初期の頃はそんなにおしゃれアイテムの一つにするなんて誰も考えていなかった。ところが、毎日身に付けることが義務づけられてからは、メーカーも考え たものだ。自分のところの製品を使ってもらうために機能だけではなく快適性やお洒落感など、さまざまに工夫を凝らすようになってきたのだ。白一色だった頃 にも、ふざけて口の図柄を描いたようなガジェットもあったけれども、いまはもっと進化して、ファッションブランドとのコラボによるものや、可愛いキャラク ターがあしらわれたものなどが現れた。でもいまの主流はとりどりなカラーアイテムだ。今日の私はバッグとのコーディネイトを考えた淡いグリーンのものをつ けているが、さすがに今年の色だけあって、同じ色を選んだ人は多いみたいだ。すれ違う人も、追い抜いていく人も、五割くらいの女性が似たような色を選んで いる。
  むかし、何かの映画かドラマで見た風景……大気汚染のためにみんなが防毒マスクのような仰々しいものを顔につけているシーンのこと を考えると、ずいぶんそれよりはましだとは思うけれども、なんでこんなものが義務づけられるようなことになってしまったのだろうと今更ながらに思う。お洒 落だかなんだか知らないが、少し歩くと自分の息で暑苦しくなってくるのだ。頭にフィットさせるためのゴムバンドも苛立たしいし。PMなんとかっていう粉塵 が国内で問題になったのはもう何十年も前のはず。規制されてそういう話題も忘れ去られていたはずなのに、いまになって海の向こうからそういうのが飛んでく るなんて。しかも他国のことだから何ともしがたい状況が続いているなんて。でもまぁ、いいか。お洒落を楽しむアイテムがひとつ増えたのだと思うようにしよ う。
 あ、もうすぐ駅だ。今日はどんなお洒落マスクが主流になってるかチェックしよう。
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第七百七十九話 剪定 [文学譚]

 窓際に置いた観葉植物がどんどん育っていて、いよいよこんもりとした森のようになっている。森のようにというのも大げさだが、見た目の印象がそう思わせるのだ。植物のことはよく知らないが、この八手のような葉を広げている植物は、どこか南方の地、たしかメキシコあたりが原産地だったと思う。冬場なのに枯れることもなく元気に育っているのは、そもそも強い植物だということなのか、部屋の中が7暖かく保たれているからなのか、いずれにしても毎日水やりを欠かさないという僕たち夫婦の愛情のおかげだと思いたい。
 それにしても葉が茂りすぎて、これではいかにも見た目に暑苦しい。以前、雑誌か何かで植物の剪定という話を読んだことがある。あまりにも葉が多すぎると、理由は忘れたが、植物にとってもあまりよくないので切ってしまう方がいいという話だった。この先手という方法がどんな植物にも当てはまるのかどうかは知らない。もちろん、切りすぎたりしたら良くないことくらいは想像がつく。でも、人間だって髪の毛がぼうぼう過ぎると不衛生だし見た目にも暑苦しいから散髪するように、植物だってぜひそうするべきだと思った。なにしろこれは観葉植物なのだから、見た目に楽しめないような者は死んだも同然だ。
 僕は引き出しから万能鋏みを取り出してきて、植物の散髪に取り掛かった。専門的な知識は何もないけれども、だいたい見ていればわかる。葉が重なり合うようになっているところや、古びてしまっている葉などを注意深く選んでは切った。こんもりとした森は徐々に間引かれていき、軽やかな表情に変わっていく。これから春に向けて、爽やかに生きていくのにふさわしいビジュアルが出来上がっていく。
 そろそろこんなものかな、と鋏みを片手に出来上がりを眺めていると、どこからか声がした。
「ふぅ、さっぱりした。あんな葉深い姿は今どきじゃないなぁと思っていたところなんだ。スッキリさせてくれてありがとう」
 え? 誰? 妻が後ろにいるのかと思ったがそうではない。声はどうやら木の幹あたりから聞こえてくるのだった。そうか、この木は喜んでくれているのだな。僕は別段驚きもせずにそう思った。木だって人間だっておんなじなんだな。こういうのを身だしなみっていうのかな。
 気がつくと、妻がそばに立っていた。手鏡と毛抜きを両手に持って。
「ねぇ、マーくん、私の眉ってどうしてこんなに濃いのかしら。抜いても抜いてもまた生えてきて……」
「なんだ、そんなのいいじゃない。君はその太くて濃い眉が似合ってるよ」
「でもぉ、こんなの今どきじゃないでしょ? わたし、薄い眉毛に憧れるもん」
「まぁ、憧れるのは勝手だけど、そんな無駄な作業はやめといたら?」
「マーくん、いま木の葉っぱは少なくしたのに、わたしのはどうでもいいの?」
「……」
「ねぇ、もし私が病気にでもなって自分で眉を抜けなくなったらどうしよう。眉ぼうぼうなんてはずかしい」
「眉を抜けなくなる病気?」
「うん。なにかそんな病気。その時はマーくんがしてね。お願い」
「……いや。断る」
 僕の頭の中では、女房の眉を万能バサミでカットしている自分が描かれていたのだが。
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第七百七十八話 春霞 [文学譚]

 エントランスの自動ドアが開くと、目の前に明るい光が広がった。ぼんやりと暖かさおうな日差し。凍えていた昨日までの習慣で、何枚も重ね着をした上にダウンジャケットまで羽織ってきてしまったことを後悔した。寒さにはめっぽう弱いわたしは、冬場外に出るときはいつも完全防備でなければ不安で仕方がないのだ。まぁ、暑くなれば脱げばいいのよねぇ、ベビーバギーの中に話しかけて自分を納得させる。
 歩道に出て空を見上げると、もやもやした雲の中に埋もれた太陽がうっすらと見えた。天気はいいのに、直射日光は隠してくれている、ちょうどいい感じ。バギーを押してゆるゆる歩きはじめると、何歩も歩かないうちに首筋が汗ばんで来るのがわかった。あらぁ、やっぱり今日はあったかいのね。バギーの子に話しかける。通りは副幹線なので、いつも車の往来は多い。だからいつも見るとはなしに行き来する車を眺めながら歩くのだが、なんとなく見晴らしが変だなと思った。
 なんだろう? 何がおかしいのかな? すぐに気がついた。遠くの車の姿が見えないのだ。街の遠方が煙っていて、白いもやの中から徐々に車の姿が現れてくるのだ。まぁ、霞かしら? 頭の中に春霞という古風な言葉が浮かんだ。冬が終わって暖かくなりはじめると、空中の水分が雲のようになって視界がぼやける現象。そうだわ、これって春霞というものに違いない。
「春霞、たなびく山のなんとやら」
 頭の片隅に残っていたのはほんのわずかだった。誰かが呼んだ春の歌。ちゃんと覚えとけばよかった。こんな奇妙な風景を見て口に出す言葉がないじゃない。ほーら見てごらん。不思議でしょう? 地面にいるのに、雲の中にいるみたい。わが娘にも見せてやりたいと思ってバギーの中を覗き込むと、まだ深い眠りの中にいるのだった。
 でも、春霞っていま自分なの? もう少し遅かったりしないのかなぁ。とにかくこの街でこんな霞を目にするのははじめてだと思う。太陽がもっと上がって暖かくなったら消えるのだろうな。霞ってどんな味がするのかな。子供みたいにいろいろな疑問を思い浮かべながら散歩を続けるのだが、霞はいよいよ深くなっていく。いや、そうではないのかな? さっき車が姿を表した霞の入口にたどり着いたということなのかな? よくはわからないけど、とにかくもう数メートル先もぼんやりして、道路脇の店や軒先も見えにくくなってきている。なんだか少し怖くなってきた。そういえば、人通りも少ないなぁ。
 霞を吸い込んだからか、喉がいがらい。娘のバギーに雨よけのカバーを垂らして霞が入らないようにする。けほけほ、こほん、けほけほ。ああー、喉が変。引き返したほうがいいかしら? 振り向くと、いま来た歩道も見えなくなっている。フォッグっていう恐怖映画を思い出す。そういえば、こないだ北海道でたいへんな吹雪に見舞われて亡くなったっていうニュースが流れていたなぁ。ホワイトアウトって言ったっけ。でもあれは雪。雪だけど、同じように、もう目の前が見えないって言ってた。
 これ、しばらく待ってたら晴れるのかな? 誰かに聞きたいけど……どうして誰もいないのよ。いつの間にか車の姿も一台もなくなってしまっている。
 あ、目が痛い。喉も。この霞はいったい何? 昨夜のニュースを思い出した。他国から飛来しているという空気汚染物質の話。このあたりにも来ていると言ってた。まさか。
 白く煙った春霞だと思っていた視界の中の白さに濁りを感じた。そのとたん、濁った感じがますます膨らんでいき、白かった霞は薄汚れた火山灰のような色に変化した。その中に浮かぶ怪しく黒い毒粒。それは我が国で発生したものとは限らない。人の国のせいにするんじゃない。他国の人が言ってるらしい。けほっけほ。ああ、喉が痛む。赤ちゃん? 覗き込むと何ごともないかのように幼気に眠っている。眠っている? ほんとうに? いつもならとっくに眼を覚ましている時間なのに。抱き上げて確かめたい。でも、いまバギーから出すのは、この毒霞の中に放り出すようなものね。
 わたしはしゃがんでバギーの中を覗く。汚染物質がバギーの中に侵入しないように気をつけながら、そおっと腕を伸ばして、我が子の身体に触れてみる。なんだか……冷たい。寒かったのかしら。頬の温かみを確認するために、もう少し腕を伸ばす。
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第七百七十七話 ラッキーセブン [文学譚]

 朝から青空が広がっていて気持ちがいい。先週の啓蟄以来、随分と暖かくなってきたという体感があって、ほんとうは行きたくない仕事なのに、なんとなくスキップをしてしまいそうな軽やかさで家を出た。無くて七癖というが、とりたてて癖がないと思っている僕は、こんなときほんとうにスキップしてしまう癖があるようだ。
 いつものバス停で待っている間も、共に並んで待っているOLや老人に、つい微笑みかけてしまうという気分の良さ。なんだこれは。普段の僕はそれほどフレンドリーではないのに。天気の良さがそうさせるのかなと思っていたら、しゅうという特有のブレーキ音がしてバスが停った。家は山手にあるので、バスは割合い急な坂を下っていく。バスが曲がるたびにすべての乗客が右へ左へと傾き、窓外の風景がダイナミックに変わっていく。このあたりでは有名な七曲だ。これを越えるとようやく平野部に入り、都会らしいビルが見えてくる。乗り物に弱い僕としては、二日酔いだったりしたものなら、バスの揺れに酔ってしまってすでにぐったりとなっているのだが、今日は不思議なくらい気分が良いままだ。
 バスを降りると、目の間にあるビルの中に会社はある。田舎町のことであるから、電車に乗り継いでさらに都心へ向かわなければならないというようなことがないのがありがたい。エレベーターで七階に上がる。小さなビルだからうちはワンフロアを占有してちょうどいいくらいだ。もともと僕は父親が営む醸造会社で働いていたのだが、親の七光りだなんだと言われるのが嫌で、いずれやめてやろうと思っていた。ところが、いまから七年前に父親が亡くなったのをきっかけに父の会社を人手に渡し、譲渡金を元手にあらかじめ準備を進めていた物販サービスの会社を立ち上げたのだ。インターネットを介してモノを売るという、今となっては大きな販売手法となっているeコマースの先駆けで、店舗も不要であり最初はたったひとりでウェブサイトを立ち上げた。徐々に売上を伸ばし、いまようやく七人の従業員を擁する程になったのだ。つまり僕は経営者なのだが、経営者といっても零細企業であるから、従業員もろとも七転八倒の毎日である。
「社長、今回の業務提携先として七番目に名乗りを上げているG社の経営者が来社されました」専務が報告にやってきた。
「そうか……七番目か……ここに通してください」
 七番目という言葉を聞いて、ラッキーセブンというイメージを膨らませながらおそらくやり手経営者に違いない男の来室を待った。ところが専務が案内してきたのは若い女性経営者だった。上質な黒いスリムなスーツを着こなし、長い黒髪に黒い今風の中折れ帽がアクセントを添えている。手強い。そんな印象を持った。
「ナナセ貿易の七瀬双多美と申します」
 女経営者はとびきりの笑顔を見せながら名刺を差し出した。想像していた厳つい男ではなかったが、この人はやはりラッキーセブンをもたらす人物に違いない、直感的にそう思った。
「七瀬は、表向きは貿易業を主体としていますが、実際にはもっと深いところで情報のやり取りなどもしていますのよ」
 世間話をすっ飛ばして、女はいきなり本題に入った。僕は受身の準備もないまま、いきなり道場に引きずり込まれたような気分で女の話に耳を傾けた。
「たとえば……そう、あなたの知らないこととか」
「わ、わたしの知らないこと?」
「そうよ。あなたは今日、とても気分がよろしいのでは?」
「ど、どうしてそれを?」
「知っているの。それが情報というもの」
「情報……ですか」
「あなたは私があなたにとってのラッキーセブンであることを望んでいる。つまり、幸運をもたらすと」
「実は……その通りです。会社を立ち上げて七年目のいまこそ、我社は次のステップに向かうためのパートナーを求めているのです」
「わかるわ。私も同じ。あなたの会社にはパワーを感じています。でも、その前にひとつ、お知らせしなければならないことが」
「知らせ? それはいったい」
「うふふ。それは……まさしく私がラッキーセブンをもたらすに違いないという……そもそもあなたが今朝から気分がいい理由も、私がここに来た理由も、なにより、今日のこの話がなぜこんな展開なのかという……
「なんだって? どういうことだ?」
「そう、今日がラッキーセブンでなければならないということよ」
「今日が?」
「私たちがいまこうしてお話しているのは、すべて、今日がラッキーセブンであるための仕掛け。そう、この話が777番目の話であるということを伝えるためなのよ」
「なんだって? じゃぁ、僕たちは?」
「そう、その通りよ。私たちは、777番目の登場人物だっていうことね」
 僕は……絶句し、読み手とともに苦笑した。
                              了
読んだよ!オモロー(^o^)(6)  感想(2)  トラックバック(0) 
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