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第六百四十五話 憑依菌 [怪奇譚]

 海から帰ってから、どうも調子が悪い。彼のサーフィン仲間たちと一緒に

出かけたのだが、私自身はサーフィンには興味がないので、みんながボード

にのって楽しんでいる間中、私はずーっと木陰で本を読んでいた。ふっと気

がつくと、周囲は薄暗くなっていて、みんなの姿も見えない。あれ? みん

な沖の方にでも行ってしまったのかなと思ってもう一度本に目を落とそうと

した瞬間、右手にある雑木林の当たりに気配を感じた。誰? そんなところ

に誰か隠れているの? そう思って林を凝視してみると、太い幹の木の向こ

うに白いものが見えた。ふわっと風になびくそれはワンピースだった。一緒

に来た仲間の中で女性は私だけだから、ワンピース姿は見知らぬ女性である

はずだった。私は少し身体を動かして幹の向こうにいる人物を確認しようと

するのとほとんど同時に、その人物もくるりと顔を動かして、私の方に視線

を向けた。十数メートルはある距離からだと、その表情まではよく見えない

のだが、それなのに私は背筋に冷たいものを感じた。表情はわからないのに

眼光の不気味さだけはわかった。あまりの寒気にぶるぶるっと実を振わせて

もう一度その姿を確認しようと林に目を向けたが、白いワンピースは消えて

しまって影も形もなくなっていた。一瞬気が遠くなったような気がしたの

だが、気がつけば周囲は昼間の明るさを取り戻しており、海辺ではしゃぐ男

たちの姿も戻っていた。

 いったいなんだったんのだろうと、後から彼に話してみたが、居眠りして

寝ぼけてたんだろうと言って掛け合ってくれなかった。

 家に帰ってしまってからは、そのことをすっかり忘れていた。だが、まも

なく微熱が出て身体が不調を訴えるようになった。鼻風邪でも引いたのだろ

うと気にもとめずにいたら熱は下がったようだ。だが、なんとなくふらふら

したり、腹具合が思わしくなかったり、なんとはなしに体調が悪い。一週間

様子をみていたが、どうにも改善されないので、三週間過ぎてようやくこれ

は一応医者に看てもらおうと決意したのだ。

「うーん、とりたてて身体に異常はないようですな。ふむ、だけど体調が優

れないか……血液検査の結果も正常ですし。まぁ、最近流行のあれ、ですな」

「先生……なんですか、最近流行のあれって?」

「うん、原因不明の症状を訴える人がときどきいらっしゃるんだが、なぁに、

心配ありゃぁせん、憑依菌ですわ」

「憑依菌?」

「そう、海だとか山だとか、そういうところでもらってくるんですなぁ」

「……確かに、夏過ぎに海へは行きました」

「そうじゃろう? そこでもらってきたんじゃぁないかな?」

「何をもらってきたんです?」

「その、菌をじゃな。憑依菌」

「それってなんなのですか?」

「じゃから、悪しき霊魂が持っている菌じゃよ。あんた、海で何かおかしな

ものを見なかったかね?」

 私は医師に、海で白いワンピースの女を見た話をした。

「で、そいつと目があったのではないのかね?」

「目……? ええ、確かにギラリと目が光るのを感じました」

「そうじゃろう、それじゃな。そのときにうつされたんだろうよ。ま、薬を出

しておくから、朝昼晩、一錠ずつ、一週間飲みなさい」

「え? お薬で……治るんですか?」

「当たり前じゃないか、さほど深刻な病原菌じゃないんだから、薬で叩くのが

一番早いじゃろうて。ま、人によっては自己免疫力で治してしまうがな」

「そ、そうなんですか……」

「ああ、あんまり人には言わん方がええで。憑依菌のことはな。敬遠されてしま

うで。うん、ワシは正直に言ってしまうんじゃが、たいていの医者は、風邪ひき

だとか、サルモネラ菌だとか、そういう菌の仕業ということにして、あまり憑依

菌の名前を患者さんに伝えたりはせんのでな」

「どうしてなんですか?」

「どうしてって、ほらな、そうやっていろいろ聞かれることになるじゃろう? 

面倒くさい。憑依菌なんてものは、ずーっと昔からあったんじゃが、非科学的な

イメージが強いから、医師の間でも評判が悪いんじゃ。まぁ、できるだけ安静に

して、あたたかくして、そうそう、薬を飲み忘れんようにな」

 一週間後、確かに症状は治った。いったいなんだったんだろう、憑依菌って。

あの女から、私は何をもらったと言うんだろう。もう一度あの医師に詳しいこと

を聞きたいと思って、病院に出向いたが、他院に移動したとのことで、会うこと

はできなかった。

                      了

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