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第四百五十ニ話 妄想の道。 [妖精譚]

 西方にある古都には"妄想の道"と呼ばれる小道がある。かつて妄想家西山鬼
人がここを散策しながら妄想に耽っことから錯乱の小径と呼ばれていたが、
いつの頃からか妄想の道と言い換えられ、その後も歴史に名だたる多くの妄
想家たちがその道を歩いては妄想の世界へと羽ばたいたという。
 今では観光名所となり、世界各国からやって来た旅人が疎水に沿った小径の
小旅行を楽しんでいる。南は煩悩寺脇にある老兵師神社辺りを起点に、北は
虹色堂まで続くこの小径を、私もいつか訪れてみたいと思っていたのだが、
今回この古都で行われる集会に参加することになり、そのついでに立ち寄っ
てみることにした。
 ちょうど季節も散策には絶好の頃で、目に眩しい青葉が心地よい風に揺れて
いっそう芳しい新緑の香りを放っっている。小径の脇を流れる疎水のせせら
ぎが耳に新鮮な音楽となって届く。平日であることが幸いして観光客はまば
らで、まるで貸し切ったかのような石畳を、私は悠々と、そして年寄りのよ
うにゆるゆると歩を進める。
 緑のトンネルとなった道をおおよそ半刻ほど歩いた頃、目の前に忽然と着物
姿の若い女が現れた。着物のことはよく知らない私でも感じる、いかにも高
級な友禅とと思われる艶やかな後ろ姿。私は是非とも彼女の美しいに違いない
表情を拝みたくなって、俄かに足を早めて彼女を追い抜こうと考えた。ところ
が彼女は目の前をしゃなりしゃなりと歩いているというのに、一向に追い抜け
ない。追い抜くどころか追いつきさえ出来ないのだ。
 ははーん、これは私の妄想に違いない。そう思った私は足を止めて暫く目を閉
じた。そうしておいて再び目を開いた時には、案の定彼女の姿は現れた時と同
じようにすっかり消え去っていた。
 妄想の道とはよく言ったものだ。こういうことがあるからこの小径は面白いの
だ。しかし、妄想とは幻に過ぎないのだろうか。一人頭の中で妄想したものが、
あたかもそこにいるかのように具象化して消えて行く。それは妄想した者にし
か見えない幻覚なのだろうか。だとすれば、あの着物姿の女性は、他ならぬ私
自身が生み出した幻影であり、もし前に回る事が出来たならば、その面影は私
が会いたいと願う誰かのものであったのかも知れないな。そう気がついた時、
私は無性に無念な想いに囚われた。
 さらにゆるゆると歩き続けていると、小径は年期の入った古民家の玄関へと向
かっていた。あれ、おかしなこともあるものだ。この道は、人の家の中を突き
抜けているのかしらんと危ぶみながら、私は臆することなく、玄関のガラス戸
を開けた。
 ガラガラガラ。
廊下の奥で人声がする。私は三和土で靴を抜いで家の中に入って行った。古ぼ
けた佇まいとは違って、廊下の突き当たりは台所というよりは昭和のキッチン
といった風情で、懐かしい型の冷蔵庫や水屋と呼んでいた食器棚が並び、その
前に置かれた昔はモダンだったに違いないテーブルセットに私の母親とともに
親戚の叔父や叔母が座っておしゃべりをしていた。
「おかえり、早かったね。ほら、ご挨拶しなさい。」
「ただいま、叔父さん叔母さん、今日は。」
母に促されて私は叔父たちに挨拶した。
「あら、行儀がいいわね。学校は楽しい?」
この叔母は、父の妹で、昔から派手な衣装を愛する人だった。子供がいないせ
いか、いつもお金持ちを装っていて、ことある毎におこずかいをくれたり、
具を買ってくれたりした人だ。夫婦ともに今も健在だが、ふたりともすっかり
惚けてしまって、確か田舎の施設で暮らしているはずだ。私はあれほど可
愛がってもらったのに、惚けてからは一度も見舞いをしていないことを思い出
した。
「母さん、もう部屋に行っていい?」
「あらあらこの子は。愛想のないこと。好きにしなさい。」
 母は本当はこの叔母のことをあまり好きではなく、そんな気持ちを繕いながら
談笑している空気の中に長くはいたくなかったのだ。私は隣の小さな部屋の襖を
開けて自室へと足を踏み入れた。
 すると、そこは元いた小径に戻っていた。脱いだ筈の靴もちゃんと履いている。
ははぁ、さては今のは狸に違いない。私は懐古主義ではないが、亡くなった母に
逢いたいと思っていたのだろうか。それを狸に見透かされてしまったのかも知れ
ないな。
 小径もそろそろ終盤に差し掛かってきたのではないかな、そろそろ少し疲れてき
たのだが。そう思いはじめた頃、疎水の向こう側にモダンなカフェが現れた。明
るい日差しが差すオープンテラスがあり、そこは大勢の人で賑わっていた。そう
いえば腹が空いてきたなと気がついてそのカフェに向かう。
 だが、イタリアンカフェだと思ったそこはカフェではなく、モダンな建物だった。
オープンテラスだと思った場所は外ではなく広い室内空間で、集まった人々は、
明日の集会・医師会で会うはずの医師や研究者たちだった。
「おい、君。遅かったじゃないか。みんなもうお待ちかねだぞ。さぁ、早く準備を
して。煩悩寺医師はもうすっかり準備が出来ているぞ。」
私は促されるままに壇上に据えられた台の上に横たわり、煩悩寺という一風変わっ
た名前の医師の手によって電極がついたヘッドギアを頭にセットされる。
 ああ、また電気が流されるんだ。あれ、嫌なんだよなぁ。でも、それをする事が私
にとっていいことであり、また、皆の前でその様子を見せることで社会のためにな
るっていうんだからしかたがないな。私は現代において世界で五本指に入る妄想家。
その私を調べることが世の人々の病気を治す事につながるのなら・・・。
 煩悩寺医師が言った。
「皆さん、長らくお待たせしました。この患者は、もう長くに渡る総合失調症患者
で・・・。」
                                  了






 

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