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第四百三十八話 話せる人養成セミナー。 [日常譚]

 [話せる人養成セミナー]

 人間はコミュニケーションして集団で生活する社会的動物です。あなたは、

隣の人とちゃんとコミュニケーション出来ていますか?時代の進化とともに、

人と人とのコミュニケーションはますます複雑化し、インターネットの普及が

さらにコミュニケーションの難しさを倍加させている昨今。さぁ、あなたも当

せる人養成セミナーに参加して、誰からも愛される”話せる人間”を目指しま

せんか?

 こんなチラシが家のポストに入っていた。なんだ、これは?話せる人を目指

すか・・・。そういえば、最近は会社でも、個人情報がどうだとか、コンプライス

メントがどうしたとか、そんな雁字搦めな世の中になってしまって、会社に何か

を提案しようとしても、それは法律上いかん、あれは個人情報が引っかかる

らだめだみたいなことで、融通が利かないことが増えたな。話がわからん

人間ばかりになってしまった。昔は少々の難があっても、”行ってしまえー!”

なぁんて話の分かる偉いさんが多かったような気がするな。今は・・・私自身

が部下や息子が持ってくる話に耳を傾けて話を分かってやらなければなら

ない年代になってしまったわけなのだが、そうか。こういうセミナーも有効か

も知れないな。世代ギャップなんて言わないで、話のわかる親父になってや

れば、息子とももっと話が出来るのかも知れないな。

 私は、最近富に若い世代の会話について行けなかったりする自分を感じる事

もあって、このチラシのセミナーに参加してみることにした。

 「あ、初参加ですね。どうされますか?まずは見学しますか?それともすぐに

入会されますか?」

 受付でそう尋ねられて、そもそもはじめる気になっていたので、すぐに入会し

ようと思った。

「えーっと、入会費とか、いるんですよね?」

「はい、入会金が五万円、受講料が五回ワンセットで五万円、合計十万円にな

っています。ツーセット目からは入会金は要りませんので、継続されるとお得で

すね。」

十万円かぁ・・・まぁ、セミナーって言えばそんなものか・・・。そう思いつつも、今

回はそこまでの現金を用意して来なかったので、まずは見学ということにしても

らった。見学と言っても、五千円が必要で、眺めているだけではなく、いわゆる

体験コースなんだだそうだ。

 セミナー会場となっている広い会議室に入ってみると、案外たくさんの人々が

集まっていた。男も女も、若いのも高齢者も。驚いたのは、外国人が多い事だっ

た。近頃は、日本にやってくる外国人は多いので驚く事でもないのかもしれない

が。それにしても、海外の人までもが日本語でのコミュニケーションを高めたい

と考えているというのがまさしく“今”だな、と思った。

 いよいよセミナーが始まった。壇上に上がったのは、チラシにも顔写真が出

いた塾長だが、偉い人なんだろうけれども、髪型や浅黒い顔つきが、なんと

しいアジア人という風貌だ。

「みなさん、こんにちは。今回は新年度最初のセミナーということで、大半の

方が初めての顔ぶれという感じですな。当話せる人間セミナーへようこそ。

私が塾長の足利孝憲です。それではみなさん、早速ですが、スタンダップ!

まずはウォーミングアップですぞ。はい、背骨を伸ばして、肩を後ろへ!大

きく息を吸い込んでぇーーー、吐く!ふわぁぁぁああああーーーーーーっ!

はい、もう一回!大きく息を吸い込んでぇぇぇええええーーーー、吐く!ふわ

ぁぁぁぁあああああー!はいっ、もう一度!すぅーーーーぅぅうううーーーー、

ふわぁああああああああ!」

受講生はみんな勝手知ったる感じなのか、一斉に息を吸ったり吐いたりしてい

る。私はいきなりだったので、まごまごしながらも塾長について行った。

「うむ。言葉を発するためには、まず息が出来なければならん。正しく息を吐き

してこそ、その息に声を載せる事が出来るんだ。これは、基本中の基本であ

るぞ。では、もうワンセット・・・。」

 結局、二十分くらいはこの深呼吸体操みたいなものに費やされた。こういう

ことも確かに大切なんだろうな、私はそう思って一生懸命息を吸ったり吐いた

りし続けた。

 呼吸法が終わったと思ったら、今度は「あっ!」とか「うっ!」とか、学生時代

に放送部や演劇部がやっていたような発声練習が続いた。なんだかこれ、セ

ミナーというよりもヨガ教室かなんかみたいだなぁ。そう思ったが、そのうちセ

ミナーっぽくなるんだろうと黙って言う通りのトレーニングを続けた。やがて発

声練習も終わって、ひと心地ついた様子で、塾長は皆を座らせて、話始めた。

 「みなさん、御苦労さま。なんだかバカみたいだと思った人もいるのではない

でしょうか?今行ったことは、話せる人になるためにはとても大事な基礎訓練

です。ちゃんとした呼吸、ちゃんとした発声が出来ないと、ちゃんとした話せる

ひとにはなれませんぞ。さて、いよいよ本題に入りますが、心の準備は大丈

夫ですかな?話せる・・・Can Speakということは、もっとも人間らしい行為で

あり・・・」

ここから、塾長の十八番なんだろうが、会話とコミュニケーション、話せる人に

なるとはどういうことか、という講義が延々と始まった。もっともらしい話ではあ

ったが、よくわからない煙にまかれているような話。要するに、正しいコミュニ

ケーションこそが、人間に立派な仕事をさせることが出来る、そんな話なんだ

ろうなと思った。話せる人間とは、文字通り、さまざまな人の話を汲み取ること

が出来る、聞き上手話し上手な人間の事なんだろうなと思った。だが、ひとし

きり塾長の演説が終わったかと思ったら、再びトレーニングが始まった。

「それでは、私の後について発声してください・・・。

おはようございます!こんにちは!こんばんわ!」

「ありがとう!どういたしまして!」

 なんなのだ、これは・・・?もしや、これって外国人向けの日本語教室なのでは?

そう思って周囲をもう一度見回してみる。確かに半分がたは外国人だ。残りは日

本人だと思ったが、もしかしてアジア系の外国人か?そういう目で見たが、やはり

残りは日本人らしい。今さら、大の大人が幼稚園児みたいに挨拶の練習をさせら

れるものだろうか?

 「はい、そこのあなた、なんじゃこれは?と言いたそうな顔をしてますね。これは、

この挨拶は大事ですぞ。コミュニケーションの第一歩ですぞ。あなたは毎日家族

や会社の人とちゃんと挨拶出来ておるのかね?」

急に白羽の矢を向けられて、私は全身から汗が噴き出した。だが、塾長が言う

りだ。最近は家でも会社でもロクな挨拶をしていないことを思い出した。うち

の会社の伝統なのか、みんなおはようもお疲れさまも言わないで、そーっと席

について知らない間に帰っていく。その習慣が身について、私は家に帰っても

あまり挨拶をしないで過ごしてきたような気がする。

 「日本語が話せる人は、まず、おはよう!こんにちは!が正しい発音で言え

なければなりません!」

熱心にそう繰り返す塾長なのだが、「日本語が話せる」という言い方が引っか

かった。やはりここは日本語教室なのか?

 一時間半のセミナーが終わって帰ろうとしたら、先ほどの受付のお姉さんに

呼び止められた。

「あ、どうされますか?このまま今日、入会されました方が、本日の体験料分が

戻ってきますのでお得になりますが・・・。」

そこで私は聞いてみた。

「あのぉ、このセミナーって・・・外国人向けの日本語教室なのではありませんか?」

「うふふ、初めての方は、そう思うみたいですね。でも違いますよ。確かに外国人

の受講生も多いんですけど。このセミナーは正しい日本語で正しく話せる人間を

育成して、国際社会にサバイバルできる人材を世に出す教室なんですよ。」

そう言われて、納得したようなしないような。とにかく、私が受講するかどうかは

持ち帰って考えてみることにした。つまり、それほど今の世の中の言葉というも

のが希薄になっているのか、それとも、このセミナーがトチ狂ってるだけなのか?

「よく考えてみます。」

そう告げて帰ろうとしたら、受付のお姉さんがつけ足してきた。

「あぁ、もしあれでしたら、他にも”息の吸い方セミナー”とか、”正しく歩く方法塾”

とかも併設していますので、ご検討くださいね。

 息の吸い方?歩き方?日本人はどうにかなってしまったのだろうか・・・?

                              了

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