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第四百三十四話 岩爺。 [脳内譚]

 若いころは何でも出来ると思っていた。何にでもなれると思っていた。つま

り夢と希望に満ちていたのだ。だが、入試で挫折し、入社で挫折し、昇進で

挫折し、四十歳を過ぎた頃にはすっかり疲弊したただのオヤジに変わって

しまった、それが松本五郎という男だ。

 五郎には何人かの相談相手というか酒飲み友達がいるのだが、その中

でも最も相談し甲斐があるのが岩本の親父通商岩さんだ。五郎よりもふ

たまわりも歳上なのだが、それだけに含蓄のある答えを持っている。

「あのなぁ、五郎ちゃん。お前さんは何をして幸せだと思っとるんだ。もしや

嫁が自分の言うことを聞いてくれたらなぁとか、会社が自分を認めてくれん

とか、神様は何をしとるんだとか、そんな風に思うとるんじゃないかな?」

「え、まぁまぁ、神様はどうかわかりやせんけどね、カミ様はもうちと俺の言い

なりになってもいいんじゃないかとは思いますねぇ。」

「やはりな。そうじゃろそうじゃろ。人間はな、どういうわけか、周りが自分の思

う通りになるんじゃないかと思う。嫁さんが自分が願うとおりにしてくれると思う。

世間が自分の思うとおりに動いてくれるかもしれんと思うとるんじゃな。そこに

大きな挫折のタネがあるんじゃな。なぁ、そんなもん、叶うわけがない。おまい

さんは、奥さんが思うとおりにしてやっとるか?おまいさんは上役の思う通りに

働いとるか?だぁれもそんなことはしとらんと思うな。人間はな、自分が思う通

りにいかなんだ時に不幸だと思う。そうじゃないかな?」

「はぁ、なるほど。そうかもわからんねぇ。そうかそうか。俺がもっと給料くれって

願ってもそうはならん。ならんから幸せになれんと思う。不幸だと思う。なるほど。」

「だろ?だったら、最初からそんなこと願わんかったらええ。無理なこと、無駄なこ

とを願うから不幸になるんじゃ。人は人。周りは周り。おまいさんはおまいさん。お

まいさんが自分で出来る事だけをやって、他人をコントロールしようなんて思わぬ

ことじゃ。人をコントロールしようと思うと反対にコントロールされてしまう。その挙句

まったく思ってもみなかった結果を招いて不幸に感じるのじゃな。」

「なるほど。じゃぁ岩さんはそういう風にしてるのかな?」

「ま、そうじゃな。わしは何も望まん。自分が出来ることだけを自分でやる。

その成果を誰かに認めてもらおうなんて金輪際思わん。」

「じゃぁ、もし、逆に相手が岩さんをどうかしよう、何かさせようなんて近寄

ってきたら・・・どうすんです?」

「たとえば、怖い兄さんがワシのとこにやって来て、クヌ野郎!土下座せ

んかいとか言ってきたら・・・ワシは素直に土下座するな。」

「ほぉ。それでええの?理不尽じゃない?」

「なぁんも。そんなもの簡単なことじゃろ。そいつの言うことを捻じ曲げる方

が遥かにしんどいわ。ワシが土下座すればいいんじゃ。」

「はぁ・・・そんなもんですかね。そりゃあまるで・・・無抵抗・・・。」

「そう、無抵抗という抵抗じゃ。心の中でウホホと思いながらそうすりゃええ。

右の頬を叩かれたら左の頬も出したらんかい。な、それが当たり前だと思

えばどうってことない。逆に相手がワシを鍛えてくれとるくらいに思うたら、

すっごく得した気分になるわな。」

「岩さんは偉いな。まるで聖人みたいだな。神様仏様岩様だな・・・。」

「うんうん、最近はな、岩爺と呼ばれとるで。岩爺…ガンジイ・・・。分かるな?」

                            了


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