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第四百三十六話 桜の時間。 [妖精譚]

 桜の花々はなぜにこうも人の心を動かすのか。あれほど美しく咲き乱れた後

に儚く散っていくその定めがあるからこそ、限りある生命への諦念かはたまた

自分の運命と共鳴するのかも知れない。

 今この世界に咲く桜は、散ってはまた蕾をつけて咲き乱れる。温暖化や気象

異常という大自然の脅威を乗り越えて、いつしか人類は永遠の春を手に入れた

という。その原理や技術はわからないが、永遠の春というものは、人々の願いだ

った。厳しい冬や茹だるような夏の楽しみ方を惜しむ声もあるのだろうが、一年中

快適な季節であることが出来るのなら、生命にとってはそれにこしたことはない。

何故なら、我々が冬は暖房を、夏には冷房を駆使して環境を整えてきた理由は、

それこそがせめて室内だけでも春という過ごしやすい時節を再現しようとしたか

らに他ならないから。技術革新によって、室内という小規模な空間だけでなく、

屋外のみならず地上全体に春を再現し、キープし続けることが出来るようにな

るのなら、それを具現化しない手はない

 昨日のように小雨に煙る桜木の風情も悪くはないが、やはり私は今日のよう

に目に眩しい青空の下の桜が好きだ。青空を背景にしてこそ白っい花塊が

映え、はらはらと舞う花びらを優雅に見せてくれる。そろそろ温かさが見てき

たなと思い、私は思い切って長袖のシャツを脱いで着替えた半袖の腕に絡み

つくそよ風が心地よい。以前にもこんなことがあったかなぁ。春めいた空気を

胸いっぱいに吸い込みながらそう思ったのは今日が初めてではない。毎日繰

り返される春の心地よさを感じる度にデジャブを感じるのだ。

 満開の桜が名所となっている通りに佇む私は、次に起きることを予測する。

もうすぐパピヨンを連れた老婦人がやってくるだろう。パピヨンは、反対側から

来た若奥さんに連れられたダックスに吠えかかる。驚いた若奥さんは思わず

リードを離してしまい、犬は歩道を走り抜ける。その方向からやって来たサラ

リーマン風の男性の足にじゃれついたダックスは彼に捕まえられて、若奥さ

にリードが返される。この一連の動きを私は何度も見た。そして、次の瞬間、

暗闇がやって来るのだ。私には何が起きたのかわからない。だが、気がつくと

再び天気のいい青空の下で満開に咲き誇る桜の木の下で通りを眺めている

のだった。

 「もう、一年も過ぎたのねぇ、あの日はちょうど今日みたいなお天気だった。」

「ほんと、そうだわ。ちょうど一年前の今日よ、鈴子が事故に遭ったのは。」

「あの日は大変だったよね。いつもは静かで長閑ですらあるこの辺りが騒然と

して・・・。」

「まさか、こんなところにクレーンがあるなんて。」

「その上、突風に倒されて落ちてくるだなんてね、誰も想像できないよね。」

「ほら、そのマンションの屋上から落ちてきたんだわ。」

「ああ、これが建設中だったのね。」

「本人も何が起きたか分からなかったと思うよ。」

「彼女、まだこの辺にいるような気がするわ。私たち仲良かったんだもの。」

「ほんと、そうだわね。でももうとっくに天国に行っていなきゃ。」

 二人は一年前に事故が起きた場所に小さな花束を置き、手を合わせた。桜の

びらがはらはらと散る。微かな風が吹いて、数篇の花びらが悪戯のように二人

の周りで舞い踊って見せた

                                    了


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