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第七百六十二話 井戸 [文学譚]

 そういう学校があるということは以前から聞いていたが、重い尻を持ち上げてそこに出かけて行ったのは一年前だ。とにかくどんな風なのか体験しにいったのだが、その時点で、まぁ一度そこで学んでみるのもいいだろうと決めてかかっていた。
 学校といっても義務教育とは違って老若男女さまざまな世代が集まっている。それにカルチャーセンターみたいなところとも違って、先生が教えてくれるわけでもない。学校に集まってきた者がそれぞれに努力をしてきて、学校で努力の成果を披露してみせる。同窓の仲間たちが、その成果を見ていろいろと意見や感想を述べ、披露した本人は仲間の言葉に学びを求め、自己研鑽を積み重ねる。そういうシステムなのだ。
 その最初のフォームがなってない。まったくド素人みたいだな。厳しい意見も投げられる。ああ、惜しいと思うよ、もう少し。なかなか完成度は高いんだけれども、まだ届かないね。そこそこ技術の高い者に対してはそれなりに褒め言葉も投げかけられる。だが、いちばんわかっているのは披露した本人であるはずだし、そうでなければならないと思う。
 同じ目的に向かっている者同士だとはいえ、果たして素人同士で意見を交わして何か意味があるのだろうか? 参加している一人に聞いてみたことがある。すると彼は、それは自分自身の問題だと思う、と答えた。他人から見ると、自分だけではわからなかったことが見えてくる。誰かの言葉を信じてもいいが、鵜呑みにする必要もない。そこから何かを学ぶか学ばないか、それは自分自身で決めることだ。だけど私はちゃんと技術を持ったプロフェッショナルにコーチされたい。そうでなければ意味がないと思う。どんなやり方が成功するか、そんなことは誰にも分からない。だが、プロフェッショナルなら技術の良し悪しくらいは判断できるはずだ。あとは自分自身の努力。他者の技を見ている暇があったら、自己研鑽を重ねたほうがいい。他者の言葉に影響されるくらいなら、ひたすら自分自身の心の声に耳を傾けたほうがいい。
 ジャンプ! ジャンプ! またジャンプ!
 代わる代わる高みに向かってジャンプする。出口はかなり高いところにある。あそこを出た者は数少ない。一度出て行った者は、もうここには帰ってこない。帰ってくる必要がないから。どのようにジャンプすればいいのか、どういうフォームで飛べばいいのか。踏み出すタイミングは? 腕の動かし方は? 声を上げたほうがいいのか悪いのか。息の吸い方、呼吸の仕方はどうか。飛んでいる間に何か動きを足すべきなのか。空中で行うべき技があるのか。
 あるとき、仲間の一人が一瞬だけど出口のあたりまで飛び上がって、外の世界を少しだけ垣間見たという。だけど彼はまだ飛び出せてはいない。次にジャンプするときには飛び出していくのかもしれないが。
 学校の披露会が終わると、みんなで飯を食いに行く。その席で最もらしい意見を言う者、ジャンプに関する受け売り情報を披露する者、酒を飲んでひとり盛り上がる者、それぞれの姿があるが、おおむね言えるのは、ジャンプしきれない者同士の傷の舐め合いだ。惜しかった。もう少し。きっと大丈夫。次回はまたジャンプできる。そして自己顕示。次は僕が飛び出す番だ。もうかなりのところまでできる自信がある。間違いなく次にはできる。そして自己嫌悪。ああ、やはり無理かもしれない。もう才能が……
 今日、私は飯に行かなかった。みんなが去ったあとも教室に残って頭上を眺めている。かなり上まで続く苔だらけの壁が私を取り囲んでいる。頭上に空が見える。空を丸く見せているあそこが出口だ。あそこまでジャンプしさえすれば外に出られる。外に出ることができれば、新たな世界が待っている。あそこまでジャンプするには、ジャンプするには……とにかく挑戦し続けるしかない。やり遂げる日が来るまで。あの出口を出たところで、きっとまた次のジャンプが求められるに違いない。井戸。そう、外の世界でここは井戸って呼ばれているらしい。井戸の中から飛び出すためにジャンプする。私は誰? 私は何?
 丸く切り取られた空にうっすらとした雲が流れていく。その向こうに見え隠れしているのは、きっと月と呼ばれているものだ。外に出ればあの輝きのすべてが見える。いまはほんの切れ端が見えるだけだけど。その切れ端をもう少し見たいと思って両足を踏ん張る。ゲロっつ。思わず声が出る。踏ん張って踏ん張って、できる限りの力を込めて高みに向かってジャンプした。
                                 了


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