SSブログ

第七百六十話 契約 [妖精譚]

  長い間使ってきた光回線を解約しようと思いついたのは先月のこと だ。光回線について、いまさら説明する必要もないかもしれないが、一応言っておくと、高速インターネット回線のことだ。昔は電話回線を提供していた事業者 が、いまはインターネットのための回線を提供しているというわけだ。
  当初は、電話回線をそのまま使用していたのだが、ISDNとかいう立 派な名称の割には、インターネットサイトを一枚見るだけでもすごく時間がかかった。それが今度はADSLという名前のものに変わって、少しだけ早くなった かなと思う間もなく、電話回線ではなく新たに光ファイバーとかいう太い電線か何かを使った光ブロードバンドというものが現れた。これは少し高額だったの で、すぐには普及しなかったが、いまやほとんどの人が当たり前のように光回線を利用するようになっている。私もそんな一人で、かれこれ十年近く光回線を 使ってインターネットにつないでいた。光回線が出た頃には高すぎると躊躇していたのに、いまは当たり前のようにその額を支払っているからおかしなものだ。 もっとも普及とともに少しだけ利用料金は下がってきたようではあるが。
  それにしても、このところのデフレのせいなのか、給料が下がり、景 気が悪いままの世の中で、貯蓄を食いつぶす日々が続いているのに、どうしたら改善できるのかなんて考えようともしなかった。考えても無駄だと思い込んでい たからだ。だが、家計の見直しを説いた小さな新聞記事の中に、本当に光が必要なのかということにふれられているのを見て、つい自分を振り返ってしまったの だ。懐の見直しをしなければ。
  光回線を契約している事業者MTTに電話をして、考えていることを相談してみた。つまり、もう光をやめてス マートホンに使っているモバイルWi-Fiだけでまかなうと何かトラブルが起きるかどうかを訊ねてみたのだ。すると、向こうの電話口で女性担当者が、非常 に残念そうな声ではあったが親切に対応してくれ、おかげで光回線の停止に踏み切る決意ができた。モバイルWi-Fiというのは、この三年ほどで急速に大刀 してきた新たな通信方法で、携帯電話のように、無線の電波でインターネットが利用できるというものだ。私はすでに三年前からこのモバイルWi-Fiを使っ ていて、どうも家の光とこのモバイルWi-Fiがダブっているような気もしていたのだ。
  光回線を止める。すると約五千円ほどが家計の中に 浮くことになる。これは大きいではないか。私はなんだかすっきりした気分で電話を切ろうとしたが、担当女性が最後に名残惜しそうに言うのだ。「また光回線 が必要になって、再加入するときには、今度は初期費用が丸ままかかってしまいます。そこで、一時中止状態にして回線はそのまま契約状態にしておかれる方も いらっしゃいます」それはどういうことなのか、お金はかからないのかと問うと、いえ、回線料は同じだけかかります。プロバイダー費用の千円ほどが亡くなる だけですねという答えに、なんだそんなのもったいないから、やはり解約しますと告げて、ついに電話を切った。
 とはいうものの、本当に大丈夫なのかな。長年使ってきたものを切るというのはとても不安なものだ。本当にWi-Fiだけで困らないのだろうか。いやいや、月五千円は大きいぞ。これでいいのだ。そう自問していると、電話が鳴った。
「もしもし、先ほどのMTTの担当、伯間ですが。ちょっと改めましてご提案があるのですが」
  伯間女史は言うのだ。実はMTTとは無関係なのだが、光回線に代わるもっとお得な回線を紹介できると。それは、IKARI回線と言って、ただ同然で利用で きるという。なんだそれ。もっと早く言ってよと言うと、いえ、MTTの回線ではないので、いまこうして個人的に電話をしてきたのだという。しかし、ただだ なんて、ちょっとおかしいのでは? いえ、ただではございません。ただ同然と申し上げたのです。ただ同然とはどういうことなのかと問うと、IKARI回線 の名前の通り、”怒り”でお支払いいただければよろしいのですと言う。
「怒りで支払う? それはいったい……?」
「お わかり にくいかと思いますが、人間の怒りは想像もつかないほどのエネルギーに満ちているのです。その人間の怒りエネルギーを糧とする者がこの世には存在するので す。人間が怒りを爆発させたとき、たいていそれらはその方にエネルギーを提供されることを目的にそうなっているのです」
「ははぁ、欲はわからないけれども、怒りのエネルギーっていうのはなんとなくわかる気がする。じゃぁ、たとえば私が怒りを発散させることによって、その回線がただみたいにして使えるというわけなんですね」
「その通りです」
「で、その怒りというのは、たとえば電車の中で足を踏まれたとか、自動販売機に入れようとした百円玉が指をすり抜けて足下の溝の中に落ちてしまって腹が立ったとか、そういうことでいいのでしょうか?」
「まぁ、おおむねそういうことですが、そのような小さなことではなかなか支払いには追いつきませんね。もっとエネルギーが出そうな、あるいは大きな怒りでないと……」
「エネルギーが出そうな、大きな怒り……?」
「そうです。たとえば……インターネットで誰かにブロックされて腹を立てるとか、あ、逆に誰かを怒らせてもいいのですよ。それも支払いの対象です。大きな怒りといえば……」
「政治家のやり口に腹を立てるとか、あ、そうそう隣国の核実験に怒るとか、他国から飛んできて降り注ぐ毒成分に怒るとか……?」
「あ、そうそう、そんな感じです」
「ところでIKARI回線っておっしゃいましたっけ。それってHIKARIと似てますよね」
「気がつきましたか。そうです。HIKARIから頭文字の”H”が取れているのです。”H”とは……」
「”H”とは?」
「HumanのHですね」
「ヒューマンのH、なるほど。つまり人間性を外すとIKARIになるのですか」
「理解が早いですね」
「ところで、担当いただいているあなたの名前は、確か……」
「伯間です」
「伯間さん……HAKUMA……それってもしや……」
「もしや、なんです?」
「頭文字から”H”を取ったら……」
「うふふ、本当に理解が早いのですね、お客様」
                       了
読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。