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第七百五十一話 バレンタインの恐怖 [怪奇譚]

 今日はセント・バレンタインデー。先週末には百貨店に行ってみたが、催事

フロアには特設売り場が繰り広げられていて、チョコレートを選ぶ女性たちで

ごった返していた。いったい誰にチョコレートをあげるのだろう。そんなものを

あげてほんとうに嬉しいのだろうか。

 あたしはこの日が大嫌い。何故かって? チョコレートがもらえないから?

バカね、あたしは女子だから貰う方ではないの、あげる方。なのに、誰もあげ

る男がいないから。寂しい。寂しいというか、もはやこれは恐怖。みんなが楽

しそうにしている日に、チョコをあげる殿方が誰ひとりいないという恐怖。わか

る? クリスマスを一緒に祝う恋人がいない恐怖のその次に、このバレンタイ

ンという日が憎らしい。腹立たしい。

 それでも昔はね、あのチョコレート売り場に群がる女子たちの中にいた。あれ

でもない、これでもないと迷いに迷ったあげく、選び抜いたチョコレートをひとつ

買い、ついでに気になったチョコを自分用にもひとつ。そういえばパパにもあげ

よう、会社の上司にもあげようと、義理チョコも買っていた。結局一万円近くが

チョコレート代になって、意気揚々と家に持ち帰り、さっそくパパに「一日早い

けど」と渡す。パパは、俺はこういう甘いのは苦手なんだけどなとか言いなが

ら一応嬉しそうにひきつりながら受け取った。

 翌日には少しドキドキしながら持って出かけた。周りを見渡すと、若い女子た

ちは早速義理チョコを配って歩いている。男子社員は義理チョコとわかりながら

もまんざらではない顔、あるいはほんとうに嬉しそうな顔で受け取る姿、姿。あ

たしもこのタイミングにと思い、ガサゴソと紙袋の中から小さなチョコの箱をいく

つか取り出して、向かいに座っている若い男子社員にそっと差し出す。すると、

彼は驚いた表情をしたまま固まってしまった。え? なんで? もう一度目の

前に差し出すと、「あの、ボ、ボクは遠慮しておきます」どういうこと? あたし

のチョコが受け取れないの? 受け取れないらしい。ちっ。そんならあげない!

あたしは気を取り直して少し離れた席に座っている上司の傍に行って、黙って

チョコを差し出す。すると彼もまた顔を引きつらせながら「わ、私は受け取るわ

けにはいかない」でもさ、机の上には他の女子からもらったチョコが積まれて

いるじゃないの。なんで? どうして? その後も用意したチョコを次々に持っ

て社内を歩いたが、誰ひとりとしてあたしからチョコレートを受け取ろうとはし

なかった。あたっしは情けなくなって、別フロアにいる彼氏のところに大きな

紙袋を持って行く。ほんとうは夜、食事に誘って渡そうと思っていたのだけれ

ども、あまりにもみんなの態度が悪くて、むしゃくしゃしていたあたしは、どう

してもいますぐに誰かに受け取ってもらいたかったので、お付き合い中の彼

にいま渡すことにしたのだ。

「え? 僕に? こんな大きいものを?」

 度肝を抜かれたような彼の額につーっと汗が落ちていくのが見える。

「まさか、これは……この大きさは……ほ、ホンメイ……?」

 うんうんとうなづくあたし。彼はそのまま白目を向いてがくりと膝をついて

その場に崩れ落ちてしまった。あたしはしかたなく、床の上にへたり込んで

いる彼の背中に紙袋を乗せて自席に戻った。

 いったいどうしたことなんだろう。あたしは思い出していた。そういえば一

年前も同じようなことがあったような。あの時の彼は……今のかれじゃない。

あのとき付き合っていた彼は、バレンタインの翌日、会社を辞めてしまったん

だっけ。なんでだか。それからもう会うことはおろか、連絡も取れなくなった。

だって会社にいないから、内縁番号が使えないんだもの。今の彼は、去年

配った義理チョコ……去年も誰ひとり受け取ってくれなかった中で、唯一受け

取ってくれたやさしい人だった。あたしの義理チョコを受け取った彼は、周りの

男性からなんかわいわい言われてたなぁ。あたしは誰も受け取ってくれなかっ

た大量の義理チョコを、自分で消化したものだから、また一回り太ってしまった。

 あれから毎年同じことを繰り返し、その度に本命チョコをあげた彼が去ってい

った。何が悪かったのかわからないまま。そしてついに、誰ひとりあたしからチョ

コを受け取る人もいなくなってしまった。さすがにチョコ好きのあたしとはいえ、な

んだか虚しくなって義理チョコさえ買わなくなったのは何年前だったかなぁ。そし

ていまやあたしには本命彼氏もいない。あーあ、寂しいなぁ。やっぱり、チョコを

配らないとダメかなぁ。あたしは今日、何年かぶりに義理チョコと本命チョコを会

社に持ってきてる。義理チョコ……会社の中ではもう配りにくい。誰も受け取ら

ないのは目に見えてるし。あ、そうだ。隣のビルの会社に行って配ろうか。それ

に、本命チョコは……いままで考えもしなかったけど……社長にあげよう。そう

だ、社長を本命彼氏にすれば、部下たちもあたしの義理チョコを欲しがるかも。

そうしよう。そう思いついたあたしはさっそく大きな紙袋をぶら下げて社長室に

向かう。自分のいい思いつきに知らず笑い声が漏れる。

 ぐえっへっへ。ぐえっへっへ。しゃちょーを彼氏に、ぐういっひっひ。

                                    了


 

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