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第七百四十二話 酔夢 [文学譚]

 久しぶりの出会いに、すっかり調子に乗ってしまった。外国に居を移して

しまった友人が、十年ぶりに古巣に帰ってくると連絡を受け、まずはごく親

しい仲間だけで飲もうという話になったのだ。若い頃によくつるんでいた田

舎のパブ、そこはいまでは旧店主の息子である友人が経営者になっているの

だが、を予約して帰国した友人を囲んで五人で飲んだ。

 こういう席ではつい羽目を外しがちなので、楽しみながらも飲み過ぎない

ように充分に注意をしていたはずなのだが、気がつけば焼酎ボトルが三本も

空いていてみんないい加減に酔っていた。もう一軒という声を聞きながら、

俺は自分が結構酔ってしまっていることを認識していた。ごめん、今日のと

ころは帰るよ、明日は朝から早いのでと、適当な理由をつけて誘いを逃れ、

一人乗って来た自転車にまたがって皆に若rを告げたのだが。

 酔っぱらっているときでも、案外と精神ははっきりしているものだ。頭

の中の司令塔にいる俺が、目という小窓から外界を覗いている。ああ、も

うこの時間になると車の数もずいぶん減っているなと思いながらペダルを

漕いでいる。両手でしっかりとハンドルを握っているにも関わらず、自転

車は右へ左へとふらふら蛇行する。ああ、いかんなぁ。本当は自転車でも

飲酒運転は禁止されているんだろう? こんな運転では危なくて仕方がな

いなぁ。冷静に思いながら、しかし一応前に進んでいるのだから、自転車

を降りて押していこうとは思わない。以前一度、同じような酔い方で、自

転車を降りた瞬間に記憶を失ってしまった経験がある。緊張が解けると同

時に眠ってしまったのだ。そのときはそのまま朝まで道端で眠ってしまい、

朝方町の人々が、死んでいるのではないかと騒いでいる声で目を覚まし、

とても恥ずかしい思いをした。そういう経験があるから、絶対にペダルを

こぎ続けるぞと頭の中の司令塔で考えている。小さな窓から見ているので、

視野はとても狭い。右へ、左へ、ふらふらするが、それがなんだか気持ち

がいい。大声で歌いたくなるほどだ。

 酔っちまったぜい〜酔っちまったぁあ〜、あ、あんあん……おっと危な

い、塀にぶつかりそうに……っと。おい危ないじゃないか! その車!ちゃ

んとまっすぐ走りたまえ! 一人でわぁわぁいいながらペダルを漕ぐ。もう

すぐ家だ。家に帰れば布団の中にすぐに潜り込んで眠ってやる。それにして

もなんだかふわふわして気持ちがいいなぁ。こんなに意識がハッキリしてい

るのに、身体がふわふわしているっていうのも、不思議なもんだ。

 家に帰ると、かみさんが泣いていた。おいおい、どうした。帰ったぞ。俺

様だぁ! 言っても知らん顔しやがる。まぁ、俺も酔いすぎて悪かったよ。

だがな、そんな無視するこたぁないだろうよ。なぁ、おい。もう、寝るぞ。

かみさんは、電話の前でいつまでも泣き続けている。おい、なぁ。なんか

あったのか? 誰ぞ親戚でも死んだのか?

 表通りに救急車のサイレンが響く。かみさんははっとしたように顔を上げ

て髪を整える。俺が帰って来たというのに、どこかに出かけようとしている。

おいおい、どこに行くんだい? こんな深夜に。玄関が開いて、弟夫婦が顔

を覗かせる。義姉さん、気をしっかりもって、さぁ、病院に行きましょう。

弟がそう言ってかみさんを連れて行ってしまった。おおい、みんなどこに行

くんだよぅ。俺ははみごか? 無視か? 

 身体がふわふわする。もう自転車には乗っていないのに。はて? 俺は自

転車をどこに停めたっけ? ちゃんと鍵をしたかなぁ? なんだか曖昧。身

体が浮いているような。ふわふわだ。まぁいい、眠くなった。意識が遠のく。

                     了


 

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