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第七百四十六話 惰性 [文学譚]

 昭和初期あたりに建てられたのだろうと思われる古いビルの会議室は、暖房

が効きにくいのか妙に冷え冷えとして次第に体温が下がって行くような気がする。

たたんでおいたコートを膝に掛けて冷えるのを防ぐが、そんなことよりも早くこの

教室を脱出したいような気分になる。さほど広くはない会議室で講義を行ってい

るのだが、マイクを持つ手も冷たく、小さな箱型のスピーカーから出る自分の声

がいつも以上に縮こまっているような気がする。

「先生、よく聞こえませんが」

 聴講生のひとりが唐突に言ってのける。うるさい。わたしもいまそう思っていた

ところだ。そんなことは言われなくてもわかっている。だが、彼らにそんなことを言

って事を荒らげる気はない。気を取り直して、エヘンとひとつ咳払いをした。

 わたしはもう長らくこんなことをしている。大学の講師もやっているのだが、それ

だけでは収入にも限りがあるということもあるが、出身者ということで求められて

この文芸館という文化セミナーでも講師をしているのだ。聴講生たちはほとんどが

作家志望ということで、毎回テーマを与えて短い作品を提出させるのだが、所詮

素人。退屈な文章が寄せられてくるので、いったいどうしたものかと思うのだが、

わたしひとりがしゃべるのも辛いので、こうした生徒の作品を講義の素材にして

いるのだ。正直、そうやって講義時間の半分ほどを昇華できるから楽なのだ。

 生徒は自分の作品をどういうつもりで提出しているのかわからないが、何かし

ら講評されたがっているのはわかる。だから何かをいうのだが、とりとめもない

駄作に対して、さほどいうこともなく、わたしは毎回その駄文に書かれている筋

らしきものを解釈するにとどめている。中にはそれすら困難なものもあるが、そ

れでも筋書きをなぞるだけで何かがわかったような気になってくれるだろう。

 わたしだってこんなところで、素人相手に講義等したくはないのだ。自分の作

品を書くという崇高な作業をしていたいのだが、このところあまり筆も進まず、

自分自身の中にこもることが非常に辛くなってきているのも事実。ここで素人相

手に自分の知識を披露している方が楽だし、ある意味、それがストレス解消に

なっているのかもしれない。大学では主に男子生徒が多い一方、この教室に集

まってくる多くは妙齢のご婦人たちだ。彼女たちから先生と言われるのは悪い気

がしない。有名作家作品の筋書きを語り、そこに散見されるネタについていささか

つまみあげる。後半は生徒自身が書いたものについて同じことをしてみせる。そ

んな簡単なことで尊敬の念を示してくれる聴講生が何人かはいる。彼女たちの

視線を受けてさらに話を進める快感。わたしはもしかしたらそのためにだけ、この

教室に来ているのかもしれない。いやいや、彼女たちにそれ以上の何かを求め

気持ちなどはさらさらないが。純粋に文芸について語り、ともに自らを高めていこ

うではないか。そう思わせるだけで、継続してわたしのファンで有り続けてくれる

生徒がいることに、わたしは感謝すらしたい。だが……

 隣の教室はいつも賑やかだ。いつか覗いてみたら、わたしの教室の三倍は広く

それだけの生徒が集まっているようだ。なぜ、そんなに人が集まるのだ……いや

いや、そんなことは考えずにいよう。覗いてなどみなかったことにしよう。しかし、

ざわつく空気の振動は毎回隣室から伝わってきて……。

                                了


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