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第七百四十三話 交換 [文学譚]

 携帯電話を水没させてしまったので、しばらくマニュアル通りに乾燥させていたが、ついに戻らなかった。諦めて販売店に持っていくと、二万円ほどで新しいのと交換してくれることになった。新しいのといっても同じ型の新品だ。二万円も叩いて、元通りになるだけというのは、なんだか本当にもったいないことをしたような気持ちになる。自宅に戻って、電話帳やら音楽データやら、あらかじめパソコンに保存しておいたバックアップを新しい携帯電話に入れてすべて元通りにすると、あたかもこの新しい電話が前から持っていて水没させてしまった電話となんら変わらない状態になった。こうなると、水没させてしまったことが嘘のようで、何事もなかったかのような気がしてくる。いま手にしている携帯電話、実はずーっと前から持ってたんじゃないか。

 交換したのはまったく同じ型なのだから、当然といえば当然だが、人間の感覚というものはおかしなもんだなぁと思う。携帯電話を持っている右手に目が止まって、ふっと奇妙な感覚にとらわれる。手。俺の手。これは俺の手か?

 一瞬頭の中にイメージがよぎる。夏。海辺。波がやって来る。大きな波だ。俺は何故だかその波に飲まれていく。足がつっていうことを効かない。水没していく俺。息が苦しい。何故? ここはどこだ? 

 はっと気がつくと、携帯電話を持った右手をずーっと見つめていた。なんだ、いまのは。俺は溺れたのか? そんな記憶はない。あれはいつの記憶なんだろう。それとも映画かなにかで見たイメージ? わからない。考えていると、また意識が暗転した。天井。誰かの顔。白い服。医者か? 母親がいる。俺はベッドに横たわっているようだった。その俺を覗き込む人の顔が見えていた。

「これでもう、回復を待つだけです」

「先生、ありがとうございます」

「まぁ、ちょうど同じタイプの身体が在庫されててよかった」

「でも先生、ほんとうに元の姿と瓜二つ……」

「まぁ、便利な世の中になったものです」

 なんだ? なにが瓜二つって? 俺はどうなったんだ? かあさん。どこ? 俺は……?

 再び我に戻った俺は、洗面所にいき、顔を洗う。鏡の中の自分を覗き込みながら思う。何だったんだ、いまの記憶は。これは……間違いなく俺だよな。俺にそっくりな身体であるはずはないよな? 奇妙な感覚にとらわれながら、俺はいつまでも鏡の中の自分を見つめ続ける。

                           了

 


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