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第七百四十九話 クレーム [文学譚]

 表引き戸のカーテンを開けると、眩しい朝の光が飛び込んできた。もう何年 この朝陽を拝んできたことか。もう相当古くなったこの引き戸。開く度にがたぴ し音がしていまにも外れてしまいそうだ。だが、これを新しいサッシになど変え たくはない。この古い木の引き戸があってのうちの店頭なのだ。親父の親父の そのまた親父の代から受け継いで、もう百年からの歴史を刻んできたこの店を 預かっている主としては、もうしばらくこのご先祖様の命が刻まれている佇まいを守って行きたいと願うからだ。
 とはいうものの。私はガラス戸に張り紙をしながらひとりごちた。売り物に関し ては、いつまでも過去の遺産だけにしがみついているわけには行かない。現代 のお客様は多様化し、新しい美味しさを求めているのだ。伝統を生かしつつも、 新たな味わいを提供すること、それが私、今の萬福饅頭店店主の役割である。
「無花果大福、新発売!」
 張り紙にはそう書かれている。このところ、大福餅の中に果物を閉じ込めた 餅がよく売れている。長いこと、そんなものは邪道だと思っていたが、よそで 売っていた苺大福を食べてみて驚いた。餡と苺の合うこと。私は考えた。うち でも苺大福を作ってもいいが、物真似だけではなぁ。そこで生み出したのが、 これ、無花果大福だ。作ってみるとこれがなかなか美味い。これは売れるぞと 判断して、早速商品化した。今日がそのデビュー日なのだ。さぁ、お客様にど のくらい喜んでもらえるのか、楽しみ楽しみ。  最初にやってきた客が言った。
「ちょっと、ご主人。あれ、なんて書いているの? むはなか……大福?」
「あ、いえ、あれはその、いちぢくが入ったいちぢく大福でして……
「ははぁ、いちぢくですかな。もっと読めるように書いてもらわないと……
 いきなりクレームだ。結局その客は常用饅頭を二個買って帰った。私は すぐに張り紙を剥がして、書き直すことにした。
「いちぢく大福、新発売!」
「ちょっと、ご主人。表のあの張り紙、間違ってませんかな?」
 次に来た客が指摘した。いちぢくと書く人もいるが、正式にはいちじくと書くのだそうだ。
「こんな伝統的なお店が、平仮名を間違えては困りますな」
 客は塩見饅頭を五個買って帰った。 私はすぐさま張り紙を書き換えた。
「いちじく大福、新発売!」
「ちょっと、ご主人、あんたとこ、浣腸売りはじめなさったので? ひとつもらおかな」
「は? なんですと? 浣腸?」
「そうです。表の張り紙、見ましたがな。いちじく浣腸、新発売」
「ははぁ。ご隠居さん、違います。いちじく浣腸ではなく、いちじく大福で」
「あ、そ? わしゃてっきり、いちじくという文字を見ただけで……
 ご隠居は何も買わずに帰ってしまった。私はさすがに今度は書き換える気にはならなかったのだが。ようやく、次にまともな客がやってきた。
「いちじく大福ですか。ご主人、考えましたな。ひとつもらいましょ。うんうん、そのままでええ。ここで食べてみてもよろしいかな? あ、おお、お茶を……いただけるのですか。ありがたい。サービスがよろしいな、こちら様は」
 客はお出ししたお茶とともに、一口食べて口を開いた。
「おおー、なかなか美味しいですな。うんうん。しかし、これ……いちじくですかな? はて? これはいちじくではのうて、ザクロっちゅうもんではないですかな?」
 言われてはじめて気がついた。確かに。これはいちじくではない、ザクロだ。わたしはどうも昔から、ものの名前を間違える。とりわけ、いちじくとザクロは、よく名前を間違えるのだった。ザクロ大福……また、いろいろ言われますな、きっと。ドクロみたいだとか、ザッケローニかとか……やめたやめた! やはりうちは伝統品だけで行く。それがええ。
                               了
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