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第七百五十四話 あらすじ男 [文学譚]

 不倫に違いない。年が離れすぎている。

 すぐ前を歩いているのは私の娘とほど違わない年齢の女性と、父親かという

年かさの中年男性だ。女が男の腕に親しそうにぶら下がっているその様子か

ら想像するに、とても親子とは思えない。こんなに歳の離れた夫婦も珍しいし、

恋人同士というには年が違いすぎる。だとすると、不倫に違いない。これまで

ドラマや小説以外には不倫という言葉と接したことのない私でも、直感的にわ

かった気がした。この野郎と思う反面、瑞々しい女の肢体を想像するに、嫉

にも似た感情が湧き上がってくる。上手いことやりやがって。しかしいまに奥方

にバレてえらいことになってしまえ。二人の後ろ姿をぼんやりと眺めながらそう

思った。

 いまにはじまったことではないが、見知らぬ人間の姿形を眺めては、その人

物の背景にある人生を勝手に想像してしまう。これは中半職業病のようなもの

なのかもしれない。大学やカルチャースクールで文芸解説という講義を行うよう

になってから、そんな風になってしまったように思う。そもそもは物語を書く職業

で生きていくつもりだったのだが、どこかしらで路線を踏み間違え、出版された

物語は三冊目で止まってしまった。そうでなくとも印税で食べていかれるような

世の中でなくなっているのに、三冊しかない本の印税など、ないに等しい。必然、

他の仕事をしなければならなくなり、かろうじて講師という職を手にすることがで

きた。それからもう二十数年も先生面をして生きているのだが、文芸を教えるこ

となど、とてもじゃないができるものではない。そもそも芸術としての文芸という

ものは、書くにしても読むにしても、個人の中にあるものであり、また個人の中

から生まれてくるものなのだ。たとえ教師であっても、指導して先へ進めるもの

ではないと私は思っている。だから、文芸を教科書にした講義は、そこに書か

れている話を読み解き、少なくともあらすじを生徒に理解させるだけにとどまっ

てしまう。物語から何を汲み出すか、何を感じるか、何を得るのか、すべては

他人によって指図されるようなものではないはずだ。読み手がそれぞれに読

み取り、内面と対峙させるべきものだからだ。私は下手な解釈を加えない。た

だ、淡々と話の筋を読み解いて聞かせる。こういうことを長年ん続けているうち

に、筋書きの読み解きは、書籍に限られたものではなく、生身の人間に対して

も行ってしまう癖がついてしまったのだ。

 歳の離れた男女。不倫。まもなくそこに問題が生じるだろう。待ち伏せする妻。

男の手を掴んでいた優しい手は、妻の存在に気づいて腕から離れる。思わず眼

を閉じて現実逃避を図る男。そして……。

 目の前の男女が不意に立ち止まった。見ると、その先に中年女性が立っている。

私の読みがいきなり現実になった。男の妻が待ち伏せしていたのだ。まさかこんな

に俄かに思い通りの展開がはじまるとは思ってもみなかったが。

「あ、早かったのね」

 突如口を開く中年女性。年の差カップルは悪びれるでもなく、腕を組んだまま再び

歩きはじめる。若い女性が腕から離れて中年女性に駆け寄る。

「待った? うふふ。久しぶりで嬉しいわ。三人でお食事なんて。ね、お母さん」

 私は物語の筋書きを読み解いて先生と呼ばれている。それはあくまでも書籍の上

でだ。生身の人間のあらすじなんて、読めるはずがない。

                                     了


 

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