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第七百四十五話 目ヂカラ [文学譚]

 その人には目ヂカラがあった。人柄はほんとうにやさしく、温厚で、誰に対

しても親切だというもっぱらの噂なのだが、こと仕事となれば、鋭い洞察力

と厳しい審美眼でもってとことんまでクオリティを追求するという。そのときの

眼力がおの目ヂカラなのだろう。ポスターに凝着されたその写真の表情は、

いかにも難しそうで威圧感があり、なによりも鋭い目がすべてを物語ってい

る。これを見た人々がまた、そうなんだ、あの人はこういう目ヂカラで語って

きたんだ。惜しい人を亡くしたものだ。

 このところ相次いで亡くなっていく演劇界の重鎮のひとり、そう、團十郎の

話なのだが、歌舞伎を見たことも、この俳優に会ったこともない私なのだが、

評価の高い表現者がこの世を去ったと聞き、またその目ヂカラは凄かった

と聞いて、人ごとならぬ感傷が押し寄せてきたのだ。

 私は俳優でも演者でもないが、人間が普通に生きていく上でも、ある種の

コミュニケーション能力が大切だと常日頃から思っている。その能力が欠け

ていると、人との接触がお粗末になり、またその結果自分自身を活かすこと

もできなくなってしまうと考えている。だから日夜、自己表現とまではいかなく

とも、自己伝達のためにはどうあるべきかと考え続けてきた。そしてその答え

が目ヂカラというものなのだ。

 目は心の窓という言い方があるが、まさにその通りで、人の目を覗き込めば、

概ねその人間の心のうちが垣間見える。同様に、黙っていようとも、自身の目

を鋭く見開くことが出来れば、言葉なしで相手に伝達することができる、そう信

じている。そう、それが目ヂカラだ。

 彼の團十郎も、やさしく穏やかなのに、表現力があったというのも、あの目

ヂカラによるものだったに違いない。私は役者ではないにしても日常生活に

おいて様々な人々……会社の部下や、得意、家人や子供……に共感され、

理解されるために自分の目ヂカラを養おうとしているのだが……。

 どういうわけか、わたしが睨みを効かせると、相手が誰であれ、すべて硬

くて冷たい石に変わってしまうのだ。これでは目ヂカラを発揮できない。どう

したことか、困ったものだ。

                              了


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