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第八百五十一話 寂田新地レポート [文学譚]

 大通りから狭い通りにほんの少し入っただけで、町の空気がずいぶん違うように感じられる。古い木造家屋が建ち並び、それ自体は古き懐かしき昭和の時代にタイムスリップしたかのような趣なのだけれども、この町にはそれ以上になにか一種独特の空気がある。昼間から玄関を開け放した家が何戸もあって、玄関口には受付カウンターのような棚が設えられている。赤い暖簾がいまはまだ内側に仕込まれていて、上がり框には赤い絨毯様の敷物が敷かれている。まだ無人の家もあるが、入口のところに厚化粧のおばばが座っていたり、早くも若い娘がいたりする家もある。ここ黴田という町は、昔ながらの営みを続けている町なのだ。

 わたしは、この町のある店に住み込みで働いている女性とひょうんなことから知り合って、彼女の仕事についてあれこれと教えてもらうことになった。彼女は自分の仕事を卑下するどころか誇りを持っていて、わたしのどんな質問にもしたり顔で答えた。

 たいへんかって? そりゃぁたいへんに決まってるじゃない。客商売っていうのはね、ほんっとうぅにいろんな客がいるんだから。いい客も多いけど、とんでもないのも来るわ。人を人と思ってないんじゃないかみたいなね。それでもわたしらは平気な顔して相手をするんだから、それってたいへんな労働よ。

 だって、やっぱすべてはお金。お金が稼げるから続けていけるってわけ。わたしみたいな体だけが資本っていう女はね、こういうのでなけりゃ、稼げないって。うん、わたしだってOL経験はあるよ。でもあんなのいくら働いてもお金貯まんないじゃん。わたしはね、この仕事である程度まで稼いだら、きっぱり辞めて店を出すの。品のいい飲み屋をね。それが夢。夢があるからさ、お金を儲けるために頑張るんじゃない。

 ああー、あの人の話ね。政治のことはよくわかんないけど、間違ってないんじゃない? 市長の言ってること。確かにね、男って性のはけ口が必要な動物なのよ。特に戦争に行くような荒くれ者なんてさ、セックスのために生きている男たちでしょ? 求める者がいて、提供するものがいて、だから慰安婦なんて制度が生まれたんじゃないの? 昔のことはよく知らないけど。わたしだって、その……なんていったかしら、その……すそう、需要と供給? それがあるからこうして儲けさせていただいてるんだもの。これ、だれかから強制されてるわけじゃないしさ。法律? ばっかねぇ。そんなものあってないようなものよ。セックス商売なんていっくらでもあるんだから。そうそう、そういえばあの市長はn弁護士だったころ、わたしらの味方だったんよ。この町を法律で守ってくれてた。そういう人情のあるひとなのよ、あの方は。あの慰安婦の発言も、とても真っ直ぐな気持ちで言ってるはずよ。

 そう? ありがと。でもキレイだとかもったいないだとか言って褒めてるつもりだろうけど、そんなの一銭にもならないもん。そんなのでサービスしないわよ。いくらするのかって? ふふ、知りたい? 来るつもり? わたしんところはこれくらい。安いでしょ? え? もっと安い店もあるのかって? あるよ。通り向こうにね、化物通りっていうのがあるの。そこにある店ならぐっと安いよ。そのかわりね、女の子っていうか、店の女も安いわよ……わかるでしょ、化物通りなんだからね。

 ほんとう? 来る? じゃ、楽しみに待ってるわ。あなただったら少しだけサービスしてあげる。ほら、これ。わたしの店のカード。ここの入口でわたしの名前を言うのよ。わかった? 間違っても化物通りには行かないでね。いろいろあるみたいだから、あそこは。

 比美子といったその娘は顔の血管が見えそうなほど色白で、夜はその肌に化粧を盛るのだと言った。茶髪に青すぎるアイラインが下卑た感じを醸していたが、話してみると存外にどこにでもいそうな普通の女子だった。だが話す内容はあっけらかんとして日常の仕事を、八百屋や魚屋の仕事のようになんでもないものとして話す。ひとしきり話を聞いた後で喫茶店を出て行く彼女は、田舎から出てきたばかりの女子高生と言われてもわからないほど普通な感じだった。後ろ姿を見送りながら、必ず行くよと、わたしは無言のサインを送った。

 あれからもう半年ほど過ぎた。あの娘は覚えているだろうか。わたしは比美子とメモを書いてしまっておいたカードをポケットに入れてこの町にやってきた。はじめて踏み入れる町。果たしてあの娘はいるのだろうか。店ではどんな感じなのだろう。たどり着いた店には臙脂色の暖簾がかかり、店の中はピンク色の光で溢れていた。その毳毳しい空気に一瞬たじろいだが、風俗ごとよりも、ただもう一度彼女にあってみたいという思いだけでわたしは一歩踏み出した。比美子がいるはずの店の敷居の向こうへと。

                                      了


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