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第八百五十話 マイホーム [文学譚]

 はじめて目が開いたときには、柔らかい土の上にいた。適度に水分を含んだ土には枯れ草が混ざっていて、決して温かいとは言えないまでも、それなりに体温を保持してくれていた。兄弟とふたりでこの土の上でじっと待っていると、ときどきお父さんとお母さんが見に来ていたんだと思う。

 次に気がついたときには、最初に目覚めたときとはずいぶんと様子が違っていた。土ではなくなにかやわらかいふんわりしたものの上に座っていた。周りは冷たいコンクリートだったはずなのに、いまはほんのりと温かい壁に囲まれているが前よりもずっと狭い世界の中にいた。世界が明るくなってまた暗くなってもお父さんやお母さんはやって来なかった。近くで声がするんだけれども、僕らのところにやって来ないので、もう会えないのかなと少し不安になったけれど、次に明るくなった時に、ようやく口に虫を咥えて来てくれた。お父さんとお母さんが虫を咥えて来てくれなかったら、僕らはふたりとも死んでしまうことだろう。お父さんとお母さんは暗くなる前と明るくなったときにそうやって虫を運んできてくれるのだ。

 最初僕らはぼんやりしていて世界が明るくなったり暗くなったりするのを眺めているだけだったけれども、何回もそういうのを眺めているうちにからだの中に力が湧いてきて、箱の中を少しづつ動き回るようになった。兄弟の姿を見ていると、ちょっと前まではふわふわした毛に覆われていたはずなのに、いまはもっとツヤのあるしっかりした羽根に変わっていて、からだ全体も二倍くらいに大きくなっている。自分の姿はわからないけれども、僕もきっと同じような姿になっているのだろうなと思う。

 くるるるる。くるるるる。

 兄弟がお父さんの真似をして音を出しはじめたので、僕も真似をしてみる。

 くっくるるるる。くっくるるるる。

 なんかできた。お父さんやお母さんみたいな音が出せる。この頃はお父さんとお母さんがやって来ると、しきりに箱から追い出そうとつつく。なんだ、いやだよう、と思うきもちとはうらはらに、体は自然と箱から出て行こうとする。

 くっくるぅ、くっくるぅ。

 お父さんとお母さんが飛び立っていた後ろ姿を箱の前で見送りながら、僕らはしばらくうろうろしていた。僕らもああやってバタバタできるのかなぁ。

 ばたばたばた。

 羽根を動かしてみるが、箱の中はどうも狭くて動きにくい。だから箱の外に出て同じことをしてみるのだけれども、そこだって狭くて動きにくい。僕らはどこでバタバタすればいいの? 箱の外はコンクリートになっていて、その端っこから顔を出して覗いてみると、下が見えないほど深く大きな溝が広がっている。ここにはまってしまったらもう、戻ってこれないな。直感的にそう思う。この溝の淵にはコンクリートの通路があるので、大きな溝に落ちさえしなければばたばたすることができそうなんだけれども。

 もう何十回明るくなって暗くなったのかわからないけれども、世界はずいぶん暖かくなった。あの土の上でふるえていたのが夢のよう。どこでばたばたするのかなんて不安に思っていたことも嘘みたいで、僕は自然に羽根をバタバタさせて、そうするとなんだか体が軽くなって浮き上がろうとする。お父さんに追い立てられて、溝のところから通路に飛び出てみると、案外簡単にできた。そこからあとは……。

 気がつくと僕も兄弟も、お父さんやお母さんと同じように空に浮かんでいた。浮かんでいたというか、羽ばたいていた。風が気持ちいい。適度な風が身体を浮かせているようだ。僕らがいた場所が遠ざかっていく。もうあそこには帰らないのだろうか。僕の家。家という言葉が自然に浮かんだ。いや、きっとまたあそこに戻るだろう。今度は僕がお父さんになるときに。遠ざかってみると、羽のずーっと下に僕らの家が見えた。あそこにいたんだ。狭く小さな箱。それは空から見てもやっぱり四角くて小さいコンクリートでできている。不思議だな。あの狭く小さなコンクリートの箱に、僕らは住んでいたんだな。そう思いながら、僕はお父さんとお母さんの後を追いかけた。

                                       了


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