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第八百二十八話 姨捨て部屋伝説 [妖精譚]

 

 梅子は大きなダンボール箱を抱えて地下一階にある庶務B室の扉を開けた。部屋は窓がないから当然かもしれないが薄暗く、さほど広くないのに奥の方がよくわからない。スチール棚に雑然と積み上げられた数々の資料が鬱積していた。

 

 過去には総合職として数々の営業実績を上げ、社内の女子社員の中でも勝ち組だと思っていた梅子だったが、五十歳を過ぎてからは仕事が激減し、担当していた仕事はすべて若い社員に振替られてもまだ、自分はすでに実績を上げているから大丈夫だと思っていた。影ではお局様と呼ばれていることも知っていたが、言わせておけばいいと思っていたのだが、この春の人事移動で遂に姥捨て部屋と囁かれている部署に配置替えされてしまった。庶務課(A)をサポートする庶務Bとは名ばかりで、実際は社内のクリップの数を数えたり、古くなった書類を整理したり、要は雑用係である。姥捨て部屋とは、アンベノミクスと呼ばれていた国政時代に設けられた雇用改革制度の徒花として民間各社に生まれたというリストラ部屋をもじったアダ名だ。最低の仕事に嫌気がさして自主退職してくれるのならもっけの幸いというやつだ。

「定年までのあと数年、ここで給料がもらえるだけでも喜んでもらわないとな」

 配置替えを通告した元上司の言葉がいつまでも頭の中から消えない。

「あーあ、なんだかなぁ。でも、わたしは辞めない。しがみついてやる」

 空いているデスクにダンボール箱を置きながら思わずつぶやいた。すると奥の方から老婆の声がした。

「ふぇっふぇっふぇ、その意気じゃで。こんなところで辞めたらあきませんなぁ。会社にはとことんつきおうてもらわにゃ」

「だ、誰? どなた?」

「ふぇっふぇっ。わたしは恩田じゃ。この部屋の係長じゃよ」

「え? あの、伝説の?」

「そうか……伝説になっておるのか。あの頃のわたしはキャリアウーマンのハシリ。世の中はまったくの男社会だったものなぁ」

 我社がまだ零細企業だった頃、経理部に鬼のような女子社員がいて、社内の経理から売上、資産運用まで、お金にまつわる事柄を徹底的に分析して、倒産仕掛けていたこの会社を立て直したという伝説の主、それが恩田数子だった。その後も会社が大手企業と呼ばれるようになるまで数々の貢献をしてきたという。てっきりもう定年退職して悠々自適に暮らしているものだと思っていたのだが、こんなところで働いているなんて。

「恩田さん……失礼ですが、おいくつになられたのですか?」

「なんじゃ、いきなり。失礼にもほどがあるわいな。歳なぞ関係ないね。あんたよりふた回りほど上かな」

「ふ、ふたまわり! 定年とかは……?」

「この部屋はなぁ、時間が止まっておるんじゃよ」

「時間が……?」

「ふぇっふぇっ。冗談じゃ。まぁ、ここは好きなだけおったらええんじゃ」

「好きなだけって……ここはリストラ部屋なのでは?」

「そう思うのは勝手じゃ。勝手じゃが、実際にわたしがこの歳でこうしてここにおるのじゃからな」

「……驚いた……じゃ、わたしも恩田さんのように?」

「さぁなぁ、それはあんた次第じゃなかろうかねぇ。それに、この部屋のことは室長に聞いてみにゃなぁ」

「し、室長? まだどなたかいらっしゃるんですか?」

「ああ、そうじゃ。わたしとあんたの上司じゃな」

 恩田に手招きされて部屋の奥にいくと、パテーションの向こうのデスクに誰かが背中を向けて座っていた。薄暗くてよくは見えない。

「向野室長、新配属の山田梅子が来ましたよ」

 恩田は言いながら室長の椅子をくるりと回す。梅子は向野という名前を聞いたことがあるような気がした。そうだ、会社が立ち上げられたときの初期メンバーに、そんな名前があったような。なんでも初代社長の妾のような存在の女性が起業に一役買ったとか。

 恩田に動かされてくるりと回った椅子に座っていたのは、かつては向野と呼ばれた女性の姿だった。社内では神話化されている起業話の主役がミイラ化してそこにあった。

                                    了


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