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第八百三十話 占有領域 [文学譚]

  ああ、またはみ出しているな、この自転車。マンション一階に自転車置き場があるのだが、住人の中には何人かルーズな人がいて、何度いってもきちんと自転車 を収納できないのだ。戸建ならいざ知らず、共同住宅ではルールを守ってもらわないとみんなの迷惑になる。そうなるといつも文句を言われるのは管理人である 住田なのだ。

  住田はオバマ大統領のソックリさんに少し似ている初老の男で、週三回このマンションに通って管理人の仕事をしている。朝八時に管理室に入り、まずはゴミ置 き場からゴミ出しと掃除。それからエントランスホールと中庭、駐輪場の掃除、最後にマンションの上から下までの共有部の掃除をするのだが、駐輪場のところ でいつも時間がかかってしまうのだ。

  住居ひとつづつに割り当てられた駐輪場は、通りからも見えやすいところに位置しているので、乱れているととても目立つ。マンションの価値にも関わると主張 する住民もいて、結構気を使う。その駐輪場で、ゴミが散らかっていたり、ひどい時には何かの糞便が落ちていたりする。ちゃんと駐輪されていない自転車があ るのは常で、それはたいてい同じ住民の仕業なのだ。仕方なくきちんと収納し終えて、玄関近くの駐輪場に来た住田はまたしても眉をしかめた。これも毎回注意 をする住民の自転車だ。

  ひとつの駐輪区画に二台の自転車が停められている。一台分の平場に二台置くのだから、当然一台は通路にはみ出して、歩行の邪魔になっているのだ。ほんとう に困ったものだ。この人は奥の方に自分の駐輪場を持っているのに、奥まで行くのが面倒だからと奥さんの区画に一緒に停めているのだ。

 ちょうど住田がそうしている時に、はみ出している自転車の主が住居階から降りてきた。住田はまた言うのも嫌だなぁと思いながらも仕方なく男を捕まえる。

「あのぅ、済みません。ここにはみ出して停めていると、みんなの迷惑になるんですよ」

「なに? なんで? ココはワタシの妻の場所ヨ」

「でもそこにはすでに一台置いてるじゃないですか」

「ワタシの家の場所に、一台停めようが二台停めようが同じダヨ」

 毎回同じやり取り。この夫婦は外国籍の人らしく、言葉が少し訛っている。

「いや、ルールですから」

「何がルールか。毎回ウルサイね、アナタ。自分の領域でナニしようが勝手アルヨ」

「いや、そこのところはあなたの家の区画からはみ出しているではないですか」

「はみ出し? そんなことない。ほら、ココ、少し区画の中に入ってるでしょ」

「入ってるってあんた。タイヤが少し区画にかかっているだけじゃないですか」

「とにかくほっといてよ。ワタシ忙しいアル。いまから折角諸島を守る会に行かねばならないネ」

「なんですか。あなたそういうのに噛んでるんですか?」

「そだよ。ワタシは会の中心人物アルヨ。自分の国の領土を守らねば」

 まったく、大陸人が言うことはわからない。日本人の感覚とはまったく違うんだから。欲しいものはなんでも自分のものだと主張して、引くことを知らないらしい。そういう民族性だからこそ、かつてはヨーロッパまでを手中に収めていたのかもしれないが。

  自転車に乗って出かけていく男を見送りながら、思わず世界史を思い出そうとする住田だったが、イヤイヤと首を振って我に返った。そんな話じゃない。私が管 理人をしているこのマンションの話だ。ほんとうにもう、きちんとした常識人だけのマンションであって欲しいよ。そう思うのだが、それは言っても仕方のない こと。世の中には困った人間はゴマンといるのだから。

                                       了


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