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第六百六十五話 詩みたいな文 [文学譚]

 

 ……ぶぉーん、ぶぉおーん。肺臓の音が風のように聴こえた。呼応するかの

ように回転する壁時計の針が、わたしはこわい。
                        〜了〜
 
 
 偶然手にした短編物語を読み終えた文子はうーんとうなった。これは、小説
なのだろうか、それとも詩なのだろうか。普段はロマンス小説しか読まない文
子にとって、文学作品と呼ばれるものは苦手な部類だ。正直言って、よくわか
らないのだ。詩的な表現をしているようだだとか、ちょっとユニークな言葉を
使ってるなとかを感じることはあるのだが、だからといって響いてこないのだ。
 世の評論で価値あるものとされる小説も読んではみた。だが、前に読み進む
ことができないでいた。面白くないのだ。文子にとって、怪しげな設定とか、
いかにもありそうな場面で、考えられない男女が出会い、恋に落ち、幾度かの
ハードルを乗り越えて恋を成就させていくようなストーリーがないと、どうに
も読み進むことができないのだ。
 散文を重ねたような文体を見ては、「詩みたいな文章だなと思う。同時に
ああ、こういうのわからない、苦手だとも思う。だけど、反面ではそういう文
章が理解できない自分は馬鹿なのではないかとも思ってしまう。だからまた、
なんとか好きになろうと文学と称される小説を手にしてみるのだ。理解できな
いという事実が悔しいからだ。
 ああ、こういう文章に滲みたいな、文子は思う。身体に馴染ませて、滲
み込ませてしまえば、自分のモノになるのではないかと思うからだ。
 そう思う理由は、実はもっとある。小説好きの文子もまた、自分で物語を作
ってみたいと思いはじめているのだ。一度、短い恋愛物語を書いてみたことが
ある。だが、それはどこかで読んだことがあるような、ありきたりな物語で、
自分で読んでみても陳腐としか言えないものでしかなかった。愕然。初心者な
のだから仕方ないと言い訳してみても、自分が書いたものが死に体な文章
であると思う。やはり文章を書くことは、自分には無理なのだろうか。
 文子はそもそも負けず嫌いである。学校での成績もいつも上位だったし、ス
ポーツでも音楽でも、いつもいちばん、とはいかなくても、周囲の誰かに負け
る気がしたことがない。小説好きの人間としては、作文だって得意科目だと思
ってきた。それだけに、言葉を書き綴るなどという、いかにも簡単に思える事
が自分にできないのかも知れないと思えてしまうのは、屈辱以外の何ものでも
ない。
 負けず嫌いな人間は、往々にしてプライドも高かったりするのだが、文子も
そういう人間だった。「死に体な」日本語しか操れない自分なんて。私はいっ
 たいいままで何を読んで来たんだろう。何が小説好きだ。何が文学少女だ。
もう嫌だ。完全に自己嫌悪に陥った文子は思った。
「もう、死にたいな
                        了

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