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第六百六十四話 脳死 [文学譚]

「お母さん、もしも私が事故で死んだら、誰か求めている人に私の臓器を提供

して欲しいの」

 唐突な提案に、和子は戸惑いながら、娘の良子が差し出して見せるドナーカー

ドを眺めた。臓器移植という言葉は聞いたことがあったが、この難しい問題を、

娘が自分のこととして考えているとは思いもよらなかった。

「うん、わかった。世の中の役に立つことだものね」

「それにね、臓器移植するってことは、私の一部が生き残るってことじゃない? 

私の部分がどこかで生きていたら、必ずまたお母さんに会えるに違いないわ」

 高校生ともなると多感な年頃だ。もともと正義感の強い娘ではあったが、父

親が数年前に家を出て行ってしまったということが、いっそう娘を人生と対峙

させていたのだろうか。人の役に立ちたい、意義のある人生を歩みたい、良子

がそんな気持ちを持つようになったときに、ドナーカードの存在を知ったよう

だった。

 それからしばらくしてこの母娘に突然の不幸が訪れた。良子が交通事故に見

舞われたのだ。

「誠にお気の毒ですが、娘さんはもはや脳死状態に陥り、残念ですが回復する

見込みはありません」

 総合病院の病室で医師に言い渡され、和子は目の前が真っ白になった。よう

やく連絡がとれて駆けつけて来ていた別居中の夫も顔色を無くしていた。

「先生……脳死って……この子は、まだ生きているのではないのですか?」

 個室のベッドの上に横たえられた娘は、様々な管や線を纏ってはいるものの、

酸素マスクの中でちゃんと呼吸し、眠っているときと同じように活き活きとし

た顔色を見せている。とても「死」という言葉が似つかわしいとは、二人には

思えなかった。医師から突きつけられた脳死という言葉を現実と思えないまま、

娘のベッドの横から離れられないでいるのだった。

 良子は、父が帰ってくることを強く願っていた。両親の間に何があったのか、

なぜ別れることになったのか、詳しいことは何も知らされていなかったが、き

っといつか必ず、また三人で暮らせる日が来るに違いないと信じていたはずだ。

父との再会は思いがけない形で実現した。父が娘に語りかける。

「良子、すまなかった。お前にもずいぶん辛い思いをさせたんだろうな。もし、

元気になってくれるのなら、お父さんはなんでもするよ。いまからだって、き

っとやり直せると思うよ」

 言いながら父は娘の頬に掌を充て、閉じたままの瞼を指で静かに撫で続けた。

 そのとき、夫と娘の様子を涙しながら眺めていた和子が一瞬息を飲んだ。

「あ、あなた! 見て?」

 微かな悲鳴にも似た声に驚いて、和子が指差す先に視線をやって父親もまた

息を飲んだ。いままで指で撫でていた娘の目尻から、涙がこぼれているではな

いか。やはり、娘は生きている! きっと奇跡が起きたのに違いない。慌てて

ナースセンターに駆けつけ、担当医を呼び出してもらった。

「……そう思われるのもごもっともなのですが……これは単なる脊髄反射による

もので、娘さんが脳死状態であることには変わりありません。お気の毒ですが」

 再び思いもよらない医師の言葉。奇跡が起きたのだと神様に感謝したのは、

ほんのつかの間の夢に過ぎなかったのだ。

 その夜、和子は夫にある話をした。良子がドナー登録をしているという話だ。

なんでそんな。夫は絶句した。娘を亡くして、この上知らない誰かに臓器まで

差し出さなければならないものなのだろうか。娘の脳死という未だ飲み込めな

いでいる現実に眠れない長い夜、二人はこのことについて何度も何度も話し続

けた。ドナーカードに刻印された娘の名前。そして娘が自分自身で記入したサ

イン。これは、言ってみれば遺言なのだ。娘の気持ちをいま、どう受け止めて、

どう処理すればいいものか。ドナー。臓器提供。娘の命。誰かの命。娘の遺言。

不和で別れた夫婦の間で、何度も何度も同じ言葉が繰り返され、いつしか二人

の気持ちはひとつにまとまっていった。

 数日後、父親は娘の臓器を提供する書類に同意の署名をした。

「ほんとうにいいんですね」

 念を押してくる医師の言葉に揺らぎそうになったが、父親は医師の目を見なが

ら首を縦に振った。

 臓器提供にはいくつかの関門がある。まずは脳死診断書。そして本人の意思を

示すドナーカードの存在。さらに家族の同意書。それだけではない。最後に、も

う一度念入りな脳死判定検査が行われる。深昏睡状態にあること、自発呼吸がな

いこと、瞳孔反応、脳幹反射、脳波、などなど。ところが、良子は事故によって

右耳の鼓膜が破れていることが判明し、これが問題となり、最終的な脳死判定に

至ることができなかった。あれほど悩み抜いて出した決断だったのに。父母は肩

を落としたが、さらに数日後、良子の心停止によって、ようやく臓器提供が可能

になったのだった。

 葬儀を終え、ようやく悲劇の幕は降りた。良子がいなくなったいま、結局その

父親とよりを戻す理由も失った。和子は日常生活に戻る努力をした。家の中をき

れいに片付け、主のいない娘の部屋を掃除した。しばらく休養扱いにしてもらっ

ていた勤めを再開させた。通りを歩きながら、あるいは銀行の窓口で、そしてス

ーパーで買物をしながら、ついきょろきょろと回りの人の動きを気にしてしまう。

誰か自分に近寄って来る人がいるのではないか、誰かが「お母さん!」と声をか

けて来るのではないか。和子にはそう思えてならないのだ。

 あのとき、娘は言ったのだ。

「お母さん、私の一部が生きているなら、必ずお母さんに会いにいく」

                         了

Inspired by lecture of Dr.M.Morioka

参考:「娘が脳死になった」(17歳ドナーの真実)―― 脳死についての特集が1999年10月14日より中日新聞に連載】


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