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第六百四十七話 視野 [文学譚]

第六百四十七話 視野

 

 気に入らないことばかりだった。自分がこんなにみんなのことを考えている

のに、周りのやつらは文句ばかり。隙あらば私の足元をすくってやろうなんて

奴らばかりだ。それが政治の世界だといえば、そういうことにもなろうが、そ

んなことでは世の中を変えるなんてことはできないではないか。

 岩原貫太郎は党本部室を見渡した。いまは会議を招集していないので、人ひ

とりいないのだが、岩原は静かに首長席に静かに腰掛けた。ここにいる連中は

同じ志を持った人間ばかりのはず。共通のマニフェストを理解し合い、共通の

信念を旨に国のことを考えているはずなのだ。だが、実際にはひとりひとり考

えていることには微妙な違いがあったりする。それは当然だ。個々に違う人間

なのだから。それでも多少の違いには目をつぶって、いい意味での妥協を飲み

込んで、この党に所属しているのだ。

 ところが、党が変わると、考え方も、方針も、信念も、ずいぶん違ってしま

う。もちろんマニフェストは相いれる部分もあるけれども、ほとんどが異なる

意見を内包している。だからこそ違うグループなのだから、差異があって当然

なのだ。こうした異なる考えを持った人間が集まって議論をし、政治を推し進

めていくのが国会というものなのだが、みんな自党の意見を曲げないから、議

会はまったく前に進まないということになる。相手の党を敵とみなして、言葉

の攻撃を仕掛けてくるし、個人的な生活にまで土足で踏み込んできて槍玉にあ

げようとする。そんなことでは肝心の政治論議ができなくなってしまうのに。

 岩原は自分がいちばん国のことを考えていると思っているし、だから周りの

人間は了見が狭いと批判してしまうのだが、実はそういう岩原こそが、今まで

散々他の議員たちを攻撃し、貶し続けてきた張本人なのだ。だが、そうした自

分の発現は国のために、正しきことのために行ってきたのだと信じている。

 さあ、執務に取り掛かろうかと立ち上がりかけたとき、本部室の中に気配を

感じて、おやっと思った。この広い部屋には自分一人だけだと思っていたのに、

誰かいるのだろうか。眼鏡をかけ直して部屋を眺めるが、正面には誰もいない。

だが、顔をぐうっと回して右隅の方を見ると、若い党員がパソコンを広げて作

業をしているのだった。はて、なぜ今までこの若い党員に気がつかなかったの

か。不思議に思いながら、今度は左の方に顔を回して見ると、そこにも数人の

党員がいて、何かをささやきあっているのだった。どうしたことか。私はこの

広い部屋に一人でいるものと思っていたのに。岩原は目をつぶってまぶたの上

から両掌で眼球をマッサージした。次にぱっと目を開いて室内をもう一度見渡

した。

 ようやく岩原は気がついた。そうか。私はいままで正面ばかり見てて気がつ

かなかったのだ。自分ではわからなかったが、私の目は視野が狭くなってしま

っている。生活に困るほどではないから、いままでおかしいと思わなかったの

だ。正面を見ているときには、右端や左端が見えていないではないか。これで

は端っこにいる人間に気がつかなくても無理はない。目の異常に気づいた岩原

は、予定を変更して眼科で看てもらうことにした。

 緑内障。眼科から戻った岩原は、気づいてよかったと思う。そのまま放置し

ていたら失明すらすると脅されたからだ。欠損してしまった視野はなかなか戻

らないが、点眼によって進行を抑えることはできるという。病気はまだ初期な

ので、視野狭窄の度合いも低い。注意して生活しさえすれば、何も問題はない

だろうと医師から告げられた。

 このようにして病気の進行を回避できたわけだが、このとき岩原の中では何

かが変化していた。いつの間にか視野が狭くなっていたことに気づかないなん

て。政治にも同じ事が言えるかもしれない。大きな政治のためいは、広い視野

を持って取り組むことが必要なのに。それからしばらく自身の考えをまとめる

ために執務室にこもった。

原発も消費税も、大事なことには違いないが、そんなものは些細な問題だ。

もっと大きな、国をどん底から救い出すためには、考えの違う者同士が一緒

になって考えなければならない。岩原は党内に向けて、そして全国会議員に

向けて、この話を伝えよう、そう考えながら執務室を後にした。

                              了


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