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第六百五十八話 末期 [文学譚]

 母が末期癌で余命宣告を受けてから、私はしばらく母のそばで暮らすようにな

った。それまで母は一人暮らしをしていたのだが、罹病して、もう治らない病気で

あると悟ったときに、病院での延命治療を受けたくないと言った。宣告された余命

を自宅で穏やかに過ごしたいと考えたのだ。在宅医療を望んだ母のために、私

は仕事先に休暇願いを出して母の看病体制に入った。

 余命は一年ということだったが、告知後半年もするといよいよ病状は進み、在

宅医療だけでは慢性化する痛みや溜まり続ける胸水に対応しきれなくなった。

そこで、近隣のホスピス系の看護も引き受けてくれる病院を紹介してもらい、そこ

の緩和医療病棟で数日間世話になることで対応した。しかし、それさえも、母にと

って入院することそのものがほんとうは不本意だったようだ。

 ちょうどその頃の私は、夫婦間にも問題を抱えていたのだが、余命短い母には

そのことを伝えられずに自分の心の中だけに留めていた。母が元気であれば、

相談したいことは山ほどあったのだが、病床の母には自分のことだけを考えてい

てもらいたかったのだ。

 母につきっきりで看病をしていると、「あんた、家は大丈夫なの?」と、母は私の

仕事や生活を案じ、夫のことを気遣った。そんな母の手前、夫と不仲であることを

悟られないために、月に一度ほど、別居中の夫に頼んで見舞いに来てもらった。

そうしないと、旦那はどうしてるの、見舞いに来てくれないの、などと勘ぐられ、鋭

い母のことだ、別居していることが悟られてしまうと思ったのだ。

 七ヶ月が過ぎた頃。母の病状はさらに進み、麻薬系の痛み緩和を行うまでにな

っていた。そんな緩和剤のおかげで朦朧としている母は、目覚めたときに偶然見

舞いに訪れていた夫に、重要な言葉を告げた。

「娘を……よろしくお願いしますね。あの子は昔からわがままで、夫であるあなた

にはずいぶんと迷惑をかけることだろうけれども、仲良くして暮らすのよ」

 傍で聞いていた私は胸が痛んだが、夫は微笑んで何度も頷き、私に目配せをし

ながら帰っていった。

 その翌日、母が今度は私に向かって言った。

「……お前、お前はほんとうは私の……では……」

 とても気になる言い方で、しかも途中で止めてしまった母の言葉に、何? と聞

き返したが、「いや、なんでもない」と言葉を濁し、そのまま昏睡状態になった。そ

してまもなく母は逝ってしまった。

 母は私に何を言おうとしたの。あの言葉の意味は? 死ぬ間際になぜあのよう

な言いよどみを? しかし、もはや真実を聞くことはできないのだ。

 私は、ほんとうは母の……何なのよ。

                          了


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