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第五百四十三話 隣鼠 [文学譚]

 家の壁の中にねずみがいるのを感じたことがあるだろうか。最近の住まいで

はねずみが巣食ってる家などなくなってしまったのだろうが、昔の家屋ではそう

いうことがあったのだ。ましてや隣家が米穀店であったりすると、必ずねずみが

住んでいた。

 カリ、カリッ。ゴソ、ゴソゴソ。

 壁の中で音がするというのは、そうとう気持ちの悪いものだ。見えないところ

で知らない生き物が生息している、そう考えただけでもぞっとしてしまうではな

いか。物音の正体がはっきりしているなら、気持ち悪さも恐ろしさもないが、知

らない何者かが、何をしているのかわからないというところに恐怖感が生まれ

るのだ。

 いま私が住んでいるのはマンションの高層階。まさかこんな部屋の壁にねず

みなど住んでいるわけがない。それなのに、ときどきどこかでカリカリ、ゴソゴソ、

という音が聞こえてくることがある。思わず耳を澄ますと、音は消える。なぁんだ、

気のせいだったかな。そう思って日常に戻ると、またカリカリ、ゴソゴソ。音がする。

今度は音の主に気取られないように、少しづつテレビの音声を下げ、忍び足で家

の中を探りはじめる。すると、やはり納戸の壁の辺りで音がする。壁の向こうは隣

室のはずだ。しかし、その隣室というよりは、隣室の手前の壁から音がしているよ

うに思えるのだ。

 カリカリ、ゴソゴソ。

 自室に傷をつけるのはためらわれたが、かと言ってこのまま未知の物音を放置

しておく気にもなれず、小型ナイフで音がするあたりの壁を掘りはじめた。マンショ

ンの壁は、壁紙とベニア板を取り除くと、その下はコンクリートの筈なのだが、私が

掘っている壁はそうではなかった。モルタル。そう、昔ながらの割合柔らかい土状

の壁だった。なぜ? と疑問を考える前に、壁にポッカリと穴が開いた。

 壁の穴の向こうは、隣室ではなかった。なにかしら小さな空間。そこに何者かが

いた。チノパンを履いて白シャツにチョッキをつけた小さなねずみ。そう、小人か妖

精にさえ見えてしまう姿でねずみが立ってこっちを見ていた。そして私と目が合うや、

気まずそうにニンマリ笑って頭を下げた。

「すんまへん、音がうるさかったですかな?」

 ねずみがそう言った。私はあっけに取られて、ぽかんと口を開けたまま、ぺこぺこ

しているねずみを見つめた。

「ちょっとね、ここにこの絵を飾ろうと思ったんやけどな、なんとなく壁紙まで変えたな

って……ほんで、古い壁紙外したり、いろいろしてたら……そらぁ、カサコソ言うて、

やかましかったんでっしゃろうなぁ」

 ねずみは私に構わずどんどんしゃべりだす。私はなおも驚いたままねずみがしゃ

べるに任せていたが、ねずみはひとしきりしゃべってから、はっと息を止めた。

「あ、ご主人。なぁんも言わんと、怒ってなさる? え? え? 腹立ててなさる?」

 そう言うなり、ねずみは急にボロボロっと大粒の涙をこぼした。

「わてもなぁ、昔はこんなんと違いましたんやがな。ちゃんと会社にも行って、お給料

もろうて、働いてましたんや。そやけど、定年退職して家でずーっとおるようになって

な……あ、ワイフは、もうだいぶん前に亡くなりまして……いまは一人寂しう住んで

ますんや」

 よくよく見ると、そこは壁の中の穴というよりは、小さくはあるがきちんとした部屋に

なっているようだった。うちは1102号室、隣は1101号室で、その間に部屋などない

はずなのだが。私はついに口を開いた。

「あ、あの……」

 それまで一人喋っていたねずみは、ぱっと言葉を止めて私の声に聞き入った。

「あのぅ、そちらは、何号室になるのでしょうか?」

 何を聞かれるのかとドキドキしていたかのような表情を再び崩したねずみが答

えた。

「なぁんや、何を聞かはるのんかと思うたら。なんやいまさら。そうか、うちの玄関

はみなさんと同じようにはなってないからなぁ。へぇへぇ、お答えしましょ。あんさん

とこは1102号室、で、お隣さんは1101号室。その間にあるわてとこは……聞か

はるまでもないわな、うちは1101.5号室だす」

 なんと。そんな部屋が、ちゃんとあったのだ。

                                       了

二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の<三題噺>課題として

2週間で小説を書く! (幻冬舎新書) ·         作者: 清水 良典 出版社/メーカー: 幻冬舎


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第五百四十二話 フィンガータッチ [文学譚]

 がっしりした体格にふさわしい腕の末端で動くその指は、見かけはやはりし

っかりした筋肉質の肉体の一部には間違いないのだが、その動きは見かけ

に似つかわしくなく、繊細なやわらかさをまとっていた。彼の指が私の唇から

首筋へ、肩へと移動し、しばらく焦らすように同じところを這いまわっていたか

と思うと、唐突に胸に動いてそれほど豊かではない両の乳房を徘徊しはじめ

た。声にならない声を押し殺しながら私は全神経を彼の指の動きに集中し、

私の上に覆いかぶさる男の背中に回した掌は、指の動きに呼応するように

男の肩と背中の間を何度も何度も往復した。彼の指はまもなくゆっくりと腹か

ら下へと動いて、ついには私の中心部分をも陵辱しはじめるのだった。

 人生ではじめて、行きずりの関係を持ってしまった私は、男の連絡先も、名

前すら問わずに分かれてしまったので、その後二度とあの指と再会すること

はなかったのだが、あの初めてで奇妙な体験以降、私の身体の何かが変わ

ってしまったことに気がついたのは、二週間も過ぎてからのことだった。

 変調は私のボディに起きているのではなかった。男によって開発されてしま

った私のボディがいっそう感じやすくなったのかと思われがちだが、そうでは

ない。感じやすく変わったのは、驚いたことに、私の指先だった。

 それまで私は、自分の指先がこれほどまでに敏感だと感じたことはなかった。

もちろん、衣類の肌触りや、冷たい鉄の感触を指先で読み取ったりすることは

あっても、それ以上でもそれ以下でもない。全盲の人間なら、指先で点字を読

んだりするような繊細さを持ち合わせてしたりもするのだろうが、身体のどこに

も欠損のない私にとって、もっともよく使う感覚は視覚であり聴覚だ。美しさを

感じるときのほとんどは目であり、音楽の芸術性を愛でるときのみ耳を使う。

これは私に限ったことではないだろう。

 ところが、あの男との関係を持って以来……正確には気がついたのは二週

間後だが……指先に神経を集中しさえすれば、触れるものすべての美しさが

指先でわかる。たとえばいま座っているデスクの天板はアイボリーの樹脂で

コーティングされているのだが、フラットな天板を指でたどりながら縁の部分に

至り、さらにアールのついたエッジを指でなぞるそれだけで、私の指先は喜び

の悲鳴をあげはじめる。同じところを何度も何度も行き来するだけで、あたか

も自身の真ん中を誰かに悪戯されているかのような恍惚感が指先から私の

中枢へと伝達していくのだ。いま文字を打ち込んでいるパソコンにしてもそう。

キーボードに並べられたいくつもの凹凸を見せるキーの一つ一つが違う味わ

いを指先に伝え、さらにそのアームレストからエッジの部分に至る金属パネル

を指先で触れていくと、デスクにはないさらに硬質なイメージの恍惚感が花開

いていく。物体に対してすらこうなのだから、これが自分自身の身体に対して

行われたならば、とても仕事場では耐えられない。

 自宅に帰った私はベッドの上に一人横たわって、デスクやパソコンにしたの

と同じことを自分自身の身体に試みる。秘部に対してではない。腕や肩、腹に

対してである。右手の指先に神経を集中させながら、左腕にそうっと触れる。

その時点ですでに全身の鳥肌が立ち上がり、ぞぞっという幻聴が聞こえる。

肩から上腕、下腕へと指が移動し、左手の甲に至る時には、すでに私自身

恍惚感に溺れはじめている。右手は左掌を愛撫したあと、再びきた道を

戻って、肩から胸、腹へとまさぐりながら移動していく。もはや右手の指は

私自身のものではなく、切り離された個別の生き物として私を陵辱し、歓喜

の道を歩ませている。触られているボディにも心地よさはもちろんあるのだ

が、私を虜にしているのは、むしろ触っている指先から伝わってくる感触だ

というのが不思議な面持ちだ。まさか指にここまでの繊細さがあったなん

て。私はそれまで自慰というものをしたことがなかったし、おそらくこれから

もそうすることはないだろう。なにしろ、そんな下卑たことをするまでもなく、

指先で触れるだけで全能の神にでもなったかのような恐ろしい快感が私

の脳髄に攻め込んでくるのだから。この指先の鋭敏さが一時的なもので

はないことを祈りながら、私は再び、自分で自身をタッチする快楽に溺れ

ていく。

                          了

二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の<指物語>課題として

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第五百四十一話 乾き [文学譚]

 白い人造大理石でできたカウンターテーブルの上に、百円均一ショッ

プで購入したグラスを置く。なんの変哲もないグラス越しに見えるカウン

ターの縁が一段下がって見える。何も入っていないグラスが、ちょうど凹

レンズの役割を果たしてそのように世間を歪ませるのだ。グラスの向こう

は一段下がっているだけではなく、一回りかふたまわりほど小さく見える。

これもレンズ効果だ。ぼくが見ている世界は、グラス越しが正しいのか、

それともグラス越しじゃぁない保が正しいのか、ふと妙な考えが頭に浮か

ぶ。

 グラスがあるのに、中には何も入っていないというのも不自然なので、

グラスの七分目ほどまで水を入れてみた。すると、いままで下がっていた

カウンターの縁が、今度は一段盛り上がりひとまわりかふたまわり縮ん

でいた世間が、今度は少し膨らんで見えた。水を入れられたグラスは、

人生を一転して凹レンズから凸レンズへと生き方を変えてしまったのだ。

空っぽだった部分に水が入っただけで百八十度も役割を変えられるその

身代わりの早さ。人の生き方もそんな風であれば、どんなにか楽なこと

だろう。それはともかく、グラスの向こう側は大きくなったもののやはりぐ

にゃりと歪んだ感じは否めず、もう一度ぼくはさっきの凹レンズで歪んだ

世間と今回の凸レンズで歪んだ世間、そのどちらでもない世間の、いっ

たいどれが本当の世間なのだろうと思った。

 水が入ったグラスの表面には、すぐさま白いくもりができたのだが、そ

のくもりが次第にある種のテクスチャーに変化しはじめている。そう、グ

ラスに入れた水は冷水だったからだ。冷水を入れられてぬくぬくと過ご

していたグラスはいきなり冷たく体温を下げ、その結果、体内と体外の

温度差によって生じるくもり、いわゆる冬場の窓に発生する結露のよう

なものを生じさせたのだが、最初はきめ細かい霧のような水滴だったも

のが数秒の後には水滴同士がつながり合うかのように目に見えてドット

状の水滴に変わり、その中のいくつかはさらに大きな水滴として連合を

組んだために、自らの重みに耐え切れず、垂直に立ち上がっているグ

ラスの表面をつるつると下降していく。人の手を借りずして自然に動き

はじめる水滴は、まるで生き物のようで、よくよく静かに眺めていると、

不気味ですらある。誰の手助けも、なんの動力も持たずに、なぜに動

くのか? 私は重力に対していつも不思議な感慨を持つのだが、今も

水滴に対して同じような奇妙さを感じてしまったのだ。

 ああ、それにしても喉が乾く。このカウンターテーブルの上に置かれ

たグラスの水を、ぐびっと飲んでしまえたらどんなに美味しいことだろう。

飲めばいいじゃないか。飲んでしまえ。心の中の悪魔がそう囁くのだが

そうはいかない。これは水じゃないのだ。いや、正確に言えば、ここには

水などないのだから。

 数年前から起きていた地球規模での異常気候。そしてひと月前になっ

てついに訪れた大干ばつと大飢饉。干上がりゆく海の水を飲んで命を失

った人間もずいぶんいる。私も倉庫に残っていた僅かばかりの缶詰や飲

料でひと月をしのいだが、ついに一昨日から何もなくなってしまった。いま

我が家のキッチンに座って、目の前に置いたグラスの中に見えた幻影は、

心を震わすことはできたとしても、身体に取り込むことは決してできないの

だ。

                               了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「グラス描写」課題として

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第五百四十話 瞬き [文学譚]

 もともと極度の近眼で、メガネかコンタクトなしでは普通の暮らしを営めな

い。いや、一人で暮らしていくだけなら、視力を矯正しなくとも暮らせるが、

普通の人間なら仕事にも出かけるし、近所づきあいもあるではないか。つ

まり、裸眼のままでは少し離れたところにいる人間を区別することが難しい

のだ。だから、四六時中コンタクトか眼鏡を使って視力を矯正している。だ

が、大学生のときに網膜剥離という病気にかかって、失明しそうになった。

突然視野の中に虫のような翳ができて、なんだろうと思っているうちにみる

みる虫の存在が肥大化、気が付けば視野が半分になっていた。驚いて総

合病院の眼科に駆けつけ、診察を受けたら、即入院という事態になった。

網膜剥離とは、眼球の打撲や極度の近眼によって眼球が変形し、その変

形について行けなくなった網膜がべろりと剥がれてしまうという病だ。網膜

とは、目に映ったものを映し出すスクリーンのようなもので、これが一旦剥

がれてしまうと、二度とは元に戻らず、失明してしまうのだ。幸い、手遅れ

になる前に診察を受けたので、レーザー手術という処置を受け、一ヶ月の

安静を保つことによって失明を免れた。

 レーザー手術とは、剥がれかけた網膜をレーザー光線で元の位置に焼き付け

るという手術だ。これによって失明はしなかったものの、レーザーで焼かれた部

分には皮膚と同じようにケロイド状の傷跡が残る。この傷跡が網膜の端っこの

方ならほとんど問題はないのだが、私の場合は、その一部が視野の中核部分

にかかっていた。だから、失明、すなわち光を失うことはなかったが、たとえば

文字を読むときに必要な中心部分が少し引きつっているために、見えてはい

るのだけれども少し歪んでいるという現象が残った。これは片目だけであった

から、生活に支障はないのだが、もしも両眼ともに同じことになっていたなら、

私は二度と文字を読むことはできなかったかったかもしれない。

 結局、極度の近眼の上に、片眼がこのようなことになっているので、目は見

えているのだが、どうにも感度が低いという中途半端な機能障害を持っている

と言わざるを得ない。視力検査上では眼鏡による矯正が可能であるので、身

体障害者手帳をもらうほどのことではないのだが。この、目の不確かさに負う

ものなのかどうかはわからないのだが、私にはもうひとつ視力に関する弱点

がある。目に映っているのに気がつかない、とうケースがよくあるのだ。これ

はむしろ注意散漫とでもいわれるような、心的要因なのだろが、視野とか視

力にも関係することには違いない。

 知人からよくクレームをつけられる。こないだ道ですれ違ったのに、無視し

たねなどと。ええー? それってどこで? いつのこと? 昨日、大通りで。え

えー?! 気がつかなかったなぁ! ええっ? 目の前で両手を振ってるのに気

がつかないなんて! これは、嘘みたいだが本当なのだ。 つい最近も、家の

近所で兄とすれ違ったのに、まったく気がつかなかったらしい。これほど極端に

認知度が低いのである。こういうときはたいてい何か考え事をしているか、ほ

かのことに気を取られていて、視界に入っている誰かのことなどまったく気が

ついていないのだ。

 この話とは別に、もうひとつ困ることがある。これはむしろ、心的な問題で

はなく、視力の問題だとは思うのだが。少し離れたところにいる人物が、私

を見ているのかどうかが分からないのだ。知らない人であれば、私を見て

いても無視していればいいのだが、顔見知り程度の人の場合、無効が私

を認識して、挨拶がわりにアイコンタクトしてくる。なのに、私にはそれが

私に対するアイコンタクトなのか、あるいは私ではない何かを見ているの

かが判断つかないのだ。下手にアイコンタクトを返してしまって、向こうが

まったく違うものを見ていたということが度々あったのだ。だから、私は相

からの視線を感じても、注意深くそれとなくその視線の先を確認する。私な

のか、私の横なのか、後ろなのか。そうして二、三度相手が私を見直して

はじめて、ああ、私にアイコンタクトを送っていたのだなとわかる。

 この間も、電車の中で視線を感じた。いつも乗っている列車であるので、顔

見知りがいるのかしらんと思って視線の先を探るが、知った顔はいない。小

学生と老人で占められている座席の横に私は立っていたのだが、車両のちょ

うど対角線というべきところ、つまり私が立っているドアとは反対側の一座席

向こう側に、私と同じくらいの年格好の男性がサングラスをかけて立っている。

はて、知り合いだろうか? いやいやこんなイカした知り合いはいない。しかし、

どうにもこの男が私に視線を向けているような気がしてならない。いやいや、

下手に視線を送り返すことはできないぞ、そう思っている間にも、彼は私を見

ているような気がする。卑怯なことに彼は、本を読見ながら、時々こっちを見

ているように思えるのだ。

 まさか、あんた私を見ていた? などと妙な言いがかりをつけるわけにもい

かず、無視することに決めた。無視を決めて、視野に男が入らないように身

体の向きを変えて立った。と、その直後に再び視線を感じて思わず男の方に

顔だけ向けて驚いた。男がしっかりと私を見据えながら近づいてくるのだ。な、

何? やはり私を見ていたの? 男は一歩、二歩、動く車両の中を私の方へ

と歩いてくる。その動作は時間が止まったかと思えるほど緩慢で、一歩踏み

出すのに数百年は要したかと思える程だ。だが、男はもう目の前に迫ってい

る。なんなのだ。私を知っているのか? それとも軟派? 軟派などもう何年

も……いや、嘘。いままで生きてきた私の人生で一度も、軟派なんてされた

ことがない。私は決してブスだとは思っていないが、かと言ってとびきり美人

でもないし。ましてこんないい男からアイコンタクトされたことんて。心臓の鼓

動が聞こえる。周囲のざわめきが消えた。電車が走る音が聞こえない。電車

はまるで止まっているかのようだ。男は私の隣までやって来ている。電車

……いつの間にか停車している。私の側のドアが開く。男は私の横を通り過

ぎて、そのまままっすぐ、私の後ろのドアから下車した。                                                     

                                了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「時間を伸ばして書く」課題として

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第五百三十九話 名も無き話 [文学譚]

 私には名前が無い。忘れてしまったのではない、はなから、ないのだ。名前
がないだなんて、そんな馬鹿なと言われそうだが、本当なのだから仕方がな
い。名前がなければ困るだろう、そう言われて仮の名前だけは付けてもらっ
た。苅野生枝という妙な名前だが、確かに変な名前でもあったほうが良いみ
たいだ。
 名前がないと、区役所でも、病院でも、仕事場でも、「ちょっと、そこの、
名前のない人!」なんて奇妙な呼ばれ方をしなければならないわけだか
ら。仮りそめにでも名前があれば、「苅野さん、どうぞ」とすんなり呼んで
もらえる。そんなこと、当たり前じゃないの? なんて思う人は、自分には
ちゃんと名前があるからそう思うのだ。世の中には、案外と名前を持たな
い人が存在するのを知らないからそう思うのだ。いや、たいてい私と同じ
ように仮の名前は付けている。だって、そうじゃなければ先に言ったよう
に不便だから。
 名は体を表す、などと言われ、名前がその人の運命までも規定してしまうか
のように言われがちだが、実際のところはそうではないらしい。アメリカのどこ
かで、名前と犯罪者の相関関係を研究した人がいるのだが、その結果は、犯
罪と関係するのは、名前というよりも環境だそうだ。生活環境や親が与える環
境によって人生が左右され、犯罪に走るような人間になるのだという。ただ、こ
こで注意が必要なのは、犯罪と名前には直接的な相関関係はないが、犯罪者
を多く輩出するような環境下で付けられる名前には偏りがあるそうだ。つまり、
貧困であったり、被差別環境に暮らす人々は、より目立つ、よりユニークな名
前をつけたがるという。このデータはアメリカ社会の話なので、主には黒人が
置かれた環境というデータが多いのだが、結果、黒人的名前というものは、白
人的名前とは明確に違っているそうだ。
 話がそれたが、要は名は体を表すのではなく、環境が体を表し、その環境が
付けがちな名前があるということだ。私の場合は、生まれてまもなく捨てられて
しまったために親が分からない。親がわからないから苗字も名前も分からない。
私が収容された施設でもしばらくは十二号という番号が名前代わりに割り当て
られていたが、やはり名前が必要だろうということで、仮の名前がつけられた。
だが、生枝だなんて。苅野生枝だなんて、なんてこと。私はこれを自分の名前
とは認めない。確かに、戸籍謄本にはこの名前が記されているが、この名の
とおり、これは仮の名前に過ぎないのだ。
 仮の名前で歩む人生など、仮の人生に過ぎない。私はいま、自分の仮では
ない本当の人生を模索中だ。いまこの年齢になっていまさらなんでと言われ
るのだが、気づくのが遅かった私が馬鹿だったのだ。 
 冷静に考えれば、苅野生枝だなんて、只野馬鹿という名前と同様にふざけ
た名前ではないか。何故四十をすぎるまでこんなことに気がつかなかったの
だろう。だって、戸籍謄本にまで書かれてしまっている名前が仮りそめの名前
だなんて、普通は思わないでしょ?
 でも、私は遅くはなったが、気がついた。気がついたからには、正しい名前と
正しい人生を作り直す必要がある。私はそう思うのだが、間違っているのだろ
うか。

                                    了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「人称」課題として

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第五百三十八話 BGM [文学譚]

 都心の駅から会社へ向かう路を歩きながら、イヤフォンで音楽を聴くのが習

慣だ。イヤフォンのコードは両耳から胸元に伸びさらにバッグのポケットに突っ

込んだ携帯音楽再生器につながっている。昔はカセットテープやCDを再生す

る装置を持ち歩いていたのだが、ここ数年の間に、デジタル化された音楽ファ

イルを持ち歩くスタイルに変わって、機器は一層小型化した。いまでは街ゆく

人のほとんどが白いイヤフォンを耳に入れて歩いている。昔の人がこれをみ

たら、みんな耳が悪くなって補聴器をつけて歩いている。若い人までもがそう

していて、大変な世の中穴と思ったことであろう。

 イヤフォンを両耳に入れて音楽を聴いていると、雑音が耳に入らないという

効果と同時に、まるで自分がドラマの主人公にでもなったような気分に浸れる。

そう、目に入る風景全てがカメラで撮影された映像と化し、耳から入ってくる音

楽はそのBGMとして響くからだ。長年こういう生活を日所的にしていると、も

や携帯音楽機器は手放さない。もしも、音楽再生器を忘れたり、電池が切

れてしまったときのために、私は携帯電話にも何曲もの音楽を入れてる。そ

う、最近では携帯電話も小型再生器の機能を持っているのだ。こうして四六

時中音楽を聴き続けているなどという状況は、決して自然の摂理に則したも

のとは思えないのだが、近頃はあまりにもこの状況に慣れ過ぎて、これが自

然のスタイルなのだと思えるようになってきている。詭弁ではなく、両耳は、

イヤフォンがあろうがなかろうが常に音を聞いている。そして世の中は、自分

のイヤフォンを使おうが使うまいが、様々な音や音楽に溢れているのだから。

常に何らかの音が耳の中になだれ込んでいることを思えば、不要な音を排除

して、自分好みの音を機械的に耳に流し込むというのは、別に不自然でもな

んでもないように思えるのだ。

 そのような屁理屈はさておき、好みのBGMに包まれて街を歩くことによっ

て、自分の目がカメラのファインダーになり、目の前の風景が映画館のスク

リーンを眺めているような気分になることは先にも言ったが、そうなると、自

分自身は、この映像の中の主人公というわけだ。もちろん、シナリオが渡さ

れているわけではないし、演技指導を受けているわけでもないのだから、

歩いていくこの先でどんなドラマが待ち受けているのかはわからないわけ

で、そういう意味では、物語というよりはドキュメンタリーなわけだが、聞い

ている音楽があまりにもドラマティックなものだったりするから、つい、自分

も物語の主人公のように錯覚してしまうのだ。

 筋書きのない物語の主人公になった気分で、音楽にリズムを併せてさっそう

と歩いていく。ダンス音楽何かを聴いていると、時には踊りだしそうなステップ

で歩いてしまうこともあって、はっと気がついて周りを見回す。いま踊ってたの、

誰かに見られなかっただろかと。音楽に夢中になりすぎて行き先を見失うなど

ということはありえないが、少なくとも周囲の雑音は耳に入らない。雑音がない

からこそ、筋書きのない物語の主人公になれるわけだが。できれば本日もハッ

ピーエンドな物語でありますように、そう願いながら会社に続く最後の横断歩

を渡り始める。まもなく横断歩道の赤信号が青に変わろうとするその瞬間

だ。私が二メートルほど道路に入るのと、トラックが黄色信号で突っ込んでく

るのとがほぼ同時だった。私のBGM物語は、いきなり暗転して、どうやら悲

劇に変わってしまったようだ。 

                                   了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「BGM」課題として

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第五百三十七話 猫 [妖精譚]

 ある日曜の朝早くに大手通を歩いていると、何メートルか先に一匹の黒猫が

見えた。私の方が歩が早かったので、じきに追いついていった。谷町筋も近く

なってきたころには、猫のすぐうしろまで来ていた。谷町筋の手前で、猫は南に

曲がった。角から四軒目の家まで来ると、私道に入っていき、玄関前の階段を

ぴょんぴょん上がって、金属の防風ドアの前でにゃぁと鳴いた。やや間があって、

ドアが開き、猫は中に入っていった。

 はて、ここはあの黒猫の家なのだろうか。それにしてはよく躾けられた猫だなぁ

と感心して、私はまたその猫が出てくるのではないかと、しばらくその場を離れる

ことができないでいた。人の家の前で佇んでいるというのは、もし誰かに見られた

ら怪しい人だと思われそうだが、そんな心配よりも好奇心の方が勝った。

 しばらくすると、また別の猫がやって来て、ドアの前でにゃあと鳴くと、再びしばら

く後にドアが開いて、猫は家の中に入っていった。

 ははぁ、さてはこの家で飼っている猫ではなくて、ここにはいろいろな猫が集まっ

てくるようだな。まさか猫が集会を持つということはないだろうが、ここの人間が何

か餌を与えているとか、猫を呼び寄せるようなことをしているに違いない。私はこ

の町に来て間がないので知らなかったが、もしかしたら猫を可愛がることで有名な

家なのかもしれない。最近は、野良猫を集めて世話をしているというボランティアも

増えているというし。

 私がそう考えている間に、また別の猫が二匹、その家に入っていった。私は、自分

が空腹であることに気がついて、知らずそのドアの前に近づいていった。ドアの前ま

で来た私は、他の猫と同じようににゃあと鳴いてみた。しばらくしてドアが静かに開い

た。

                                    了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「引用膨らまし」課題として

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第五百三十六話 十二階の猫 [妖精譚]

 猫というものは、日長一日ごろごろ眠っている生き物だ。起きては飯を食い、

少し運動をして、また眠る。ただ、コトッと小さな音がしただけで、すぐに目を

覚まして、逃げる体制を整える。あるいは、獲物ではないかと身構える。この

あたりは、野生だった頃のDNAのなせる技なのだろう。

 猫が起きている間に行う行動がもう一つある。観察だ。これも、おそらくは獲

物を狙うための予備行動なのだろうが、家の窓から外を、ずーっと見ている。

とりわけ鳩や虫などが視界に入った時には、まさにハンターの眼になって、顔

をぐるぐる回して獲物を見続ける。

 我が家はマンションの十二階であるので、二匹の猫たちは十二階の窓から

外を覗いているのだが、視線の先にあるのは遥か十数メートル下の道であっ

たりして、そこには小さな車や人間が動いているのだが、果たして猫たちはい

ったいどう思って下界を眺めているのだろう。まさか、あの小さな車や人を、鳥

や虫と同じように捉えているのではあるまい。

 窓外のベランダにやって来た鳩のクックルーという声が聞こえると、さっと動い

て鳩の姿を捉えようとするのだが、目で捉えたところで、ガラス板の向こうにいる

鳩を実際には捕まえることができない。こういう状況は、ストレスにならないのだ

ろうかと、飼い主としては少々心配になる。

 ある日、出窓に座っていつものように窓外を眺めている猫の視線を追ってみた。

出窓の外側は、いきなり中空で、そこにはベランダはない。すぐ眼下に道路が走り、

小さな車が行き来している。夏場のことなので、猫の目の前には網戸があって外界

と猫を隔てている。私は、悪戯心をおこして、網戸を開いてやった。これで外界と猫

を遮蔽するものはなくなった。

 ほうら、ここから出たら危ないぞ。

 そう教え込むつもりでそうしたのだし、実際、猫が飛び出さないかと、いつでも捕

まえることができるようにしてのことなのだが、恐れていた弾みというものが、起き

た。窓外に小さな虫が飛んできたのだ。猫は反射運動で、虫に前足を伸ばす。もう

ちょっとで届きそうな虫の動きを、鋭い猫の視線が追いかける。動体視力が捉えた

獲物を、猫のDNAは、当然ながら捉えろと指令をくだす。猫が動く。虫も逃げる。私

も猫を捕まえようとする。だが、猫の動きがわずかに素早かった。十二階の窓外を

飛翔する虫を追って、猫が窓から飛び出した。足もとは十数メートル下だ。私も慌て

て猫を追いかける。すんでのところで私の両手が、空中に浮いた猫を捉えた。心臓

がどきどきする。ところが、猫を捕まえている私自身が窓の外へ大きくはみ出してい

ることに気がつくのと、足もとが十数メートル下だと実感するのがほぼ同時で、私は

猫を掴んだまま中空に浮いていた。危ない! 猫を掴む私の手に力が入るが、足も

とはすでに何もない。ああ! 思わず声が出て、腹の底をひゅうと空気が抜ける感じ

がしたとき、何者かが私の身体を捕まえていた。あわや猫と共に地面に激突するか

と思えた私は、気がつくと十二階の窓の内側で猫を抱きしめて腰を抜かしていた。

                                   了

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第五百三十五話 慰霊碑 [怪奇譚]

 世界遺産にも指定されている霊場、高野山。その中にはとある宗教の総本山

がある。その宗教にまがいなりにもの属している家系であるのに、今まで参拝

しなかったのが不思議だ。一説によれば、その寺院へは、縁がつながらないと

行くことができないという。縁がない人間が行こうとしても、必ず何か行けな

い理由ができていけなくなってしまうのだという。

 私の場合は、一度行ってみたいと思いつつも、本気で行こうとしなかったの

であるが、今回は重い腰を上げた結果、問題なく参拝できたので、おそらく、

幸いにもご縁があったということなのだろう。

 友人たちと連れだって本堂を参拝した後、参道をぷらぷら歩きながら、様々

な故人の墓に黙礼して通り過ぎる。大物戦国武将の墓や、この宗教を布教した

修行僧の墓がひっそりと存在しているのも興味深いが、一方では大手企業の名

を冠した慰霊墓もまるで別荘地のように数多く置かれているのも不思議な気が

した。

 そうした様々な墓と並んで目を引いたのが、阪神淡路大震災で亡くなった人

々を祀った慰霊碑だ。誰がどのようにして建てたのかわからないが、立派なも

ので、聞けば毎年慰霊祭も執り行われているという。そこから少し離れたとこ

ろにはまた、最近の東北地方大震災の慰霊碑予定地という区画が設けられてい

て、こういうところで遠く離れた地で亡くなった人々を祀られるということに

は心打たれるものがあった。

 驚いたことに、そこからさらに離れたところに発見したものだ。それは人目

につかない場所であるからなのか、あるいはその存在がぼんやりとして輪郭が

明瞭でないためかわからないが、最初は気がつかなかった。だが、先の二つの

慰霊碑を見つけたおかげで、同じような慰霊碑がほかにはないかと探したおか

げで見つけてしまったのだ。

 そこにはまだ慰霊碑は建っていない。あくまで予定地であるのだが、しっか

りと区画が確保されており、小さな板札にはこう書かれてあった。「東海南海

大震災慰霊碑予定地」。そしてさらにその隣にも次の慰霊碑予定地として・・・・・・。

                      了

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第五百三十四話 芸遊詩人 [空想譚]

「誰もが気にもかけないようなことに気になって仕方がない、そういう人間が

詩人なのです」

 すでに長らく詩人として生きてきた長老がそう言った。長老は、この国を憂

い、より多くの詩人が生まれることを願っている。だから村の人間を集めて、

詩の創作を説いているのだ。世界の中で最も美しい国と、より多くの詩人が住

む国であるとも言った。別のときにはこうも言った。ほかのものが笑っている

ときに泣く、ほかのものが鳴いているときに笑う。詩人とは、皆に迎合しない

人間であると。

 つまりそれは、万人と同じ感覚の持ち主であっては詩人足りえないというこ

と、奇人変人の類いであってこそ芸術家でありうるということを指しているよ

うに、私には思えた。確かにそれは真理かもしれない。芸術家と呼ばれる人の

多くは奇行とか偏屈とか、そういう話はよく聞く。だが、人に理解され、共感

されるのは、むしろ万人と同じ普通の感覚を持った人間ではないのだろうか、

そのようにも思える。隣の人間に理解されない人間が、どうして多くの人間に

共感される芸術を生み出すことができるのだろう。

 だが、得てして人は、見たこともない人間とか、経験しえない事象に興味を

持ち、心動かされる、それも真実だ。

 だとすれば、人間とはなんと矛盾に満ちた存在であることか。

 私はごく常識的な普通の人間だ。だから、芸術家にはなれないだろう。だが、

他の人間とは少しばかり違う面も持っている。それなら私も芸術家になれるの

だろうか? 答えのない自問自答を繰り返しながら、私は遠いふるさとM80

星雲に思いを馳せる。

                        了

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