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第五百三十八話 BGM [文学譚]

 都心の駅から会社へ向かう路を歩きながら、イヤフォンで音楽を聴くのが習

慣だ。イヤフォンのコードは両耳から胸元に伸びさらにバッグのポケットに突っ

込んだ携帯音楽再生器につながっている。昔はカセットテープやCDを再生す

る装置を持ち歩いていたのだが、ここ数年の間に、デジタル化された音楽ファ

イルを持ち歩くスタイルに変わって、機器は一層小型化した。いまでは街ゆく

人のほとんどが白いイヤフォンを耳に入れて歩いている。昔の人がこれをみ

たら、みんな耳が悪くなって補聴器をつけて歩いている。若い人までもがそう

していて、大変な世の中穴と思ったことであろう。

 イヤフォンを両耳に入れて音楽を聴いていると、雑音が耳に入らないという

効果と同時に、まるで自分がドラマの主人公にでもなったような気分に浸れる。

そう、目に入る風景全てがカメラで撮影された映像と化し、耳から入ってくる音

楽はそのBGMとして響くからだ。長年こういう生活を日所的にしていると、も

や携帯音楽機器は手放さない。もしも、音楽再生器を忘れたり、電池が切

れてしまったときのために、私は携帯電話にも何曲もの音楽を入れてる。そ

う、最近では携帯電話も小型再生器の機能を持っているのだ。こうして四六

時中音楽を聴き続けているなどという状況は、決して自然の摂理に則したも

のとは思えないのだが、近頃はあまりにもこの状況に慣れ過ぎて、これが自

然のスタイルなのだと思えるようになってきている。詭弁ではなく、両耳は、

イヤフォンがあろうがなかろうが常に音を聞いている。そして世の中は、自分

のイヤフォンを使おうが使うまいが、様々な音や音楽に溢れているのだから。

常に何らかの音が耳の中になだれ込んでいることを思えば、不要な音を排除

して、自分好みの音を機械的に耳に流し込むというのは、別に不自然でもな

んでもないように思えるのだ。

 そのような屁理屈はさておき、好みのBGMに包まれて街を歩くことによっ

て、自分の目がカメラのファインダーになり、目の前の風景が映画館のスク

リーンを眺めているような気分になることは先にも言ったが、そうなると、自

分自身は、この映像の中の主人公というわけだ。もちろん、シナリオが渡さ

れているわけではないし、演技指導を受けているわけでもないのだから、

歩いていくこの先でどんなドラマが待ち受けているのかはわからないわけ

で、そういう意味では、物語というよりはドキュメンタリーなわけだが、聞い

ている音楽があまりにもドラマティックなものだったりするから、つい、自分

も物語の主人公のように錯覚してしまうのだ。

 筋書きのない物語の主人公になった気分で、音楽にリズムを併せてさっそう

と歩いていく。ダンス音楽何かを聴いていると、時には踊りだしそうなステップ

で歩いてしまうこともあって、はっと気がついて周りを見回す。いま踊ってたの、

誰かに見られなかっただろかと。音楽に夢中になりすぎて行き先を見失うなど

ということはありえないが、少なくとも周囲の雑音は耳に入らない。雑音がない

からこそ、筋書きのない物語の主人公になれるわけだが。できれば本日もハッ

ピーエンドな物語でありますように、そう願いながら会社に続く最後の横断歩

を渡り始める。まもなく横断歩道の赤信号が青に変わろうとするその瞬間

だ。私が二メートルほど道路に入るのと、トラックが黄色信号で突っ込んでく

るのとがほぼ同時だった。私のBGM物語は、いきなり暗転して、どうやら悲

劇に変わってしまったようだ。 

                                   了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「BGM」課題として

2週間で小説を書く! (幻冬舎新書)

  • 作者: 清水 良典 出版社/メーカー: 幻冬舎 発売日: 2006/11

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