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第五百三十六話 十二階の猫 [妖精譚]

 猫というものは、日長一日ごろごろ眠っている生き物だ。起きては飯を食い、

少し運動をして、また眠る。ただ、コトッと小さな音がしただけで、すぐに目を

覚まして、逃げる体制を整える。あるいは、獲物ではないかと身構える。この

あたりは、野生だった頃のDNAのなせる技なのだろう。

 猫が起きている間に行う行動がもう一つある。観察だ。これも、おそらくは獲

物を狙うための予備行動なのだろうが、家の窓から外を、ずーっと見ている。

とりわけ鳩や虫などが視界に入った時には、まさにハンターの眼になって、顔

をぐるぐる回して獲物を見続ける。

 我が家はマンションの十二階であるので、二匹の猫たちは十二階の窓から

外を覗いているのだが、視線の先にあるのは遥か十数メートル下の道であっ

たりして、そこには小さな車や人間が動いているのだが、果たして猫たちはい

ったいどう思って下界を眺めているのだろう。まさか、あの小さな車や人を、鳥

や虫と同じように捉えているのではあるまい。

 窓外のベランダにやって来た鳩のクックルーという声が聞こえると、さっと動い

て鳩の姿を捉えようとするのだが、目で捉えたところで、ガラス板の向こうにいる

鳩を実際には捕まえることができない。こういう状況は、ストレスにならないのだ

ろうかと、飼い主としては少々心配になる。

 ある日、出窓に座っていつものように窓外を眺めている猫の視線を追ってみた。

出窓の外側は、いきなり中空で、そこにはベランダはない。すぐ眼下に道路が走り、

小さな車が行き来している。夏場のことなので、猫の目の前には網戸があって外界

と猫を隔てている。私は、悪戯心をおこして、網戸を開いてやった。これで外界と猫

を遮蔽するものはなくなった。

 ほうら、ここから出たら危ないぞ。

 そう教え込むつもりでそうしたのだし、実際、猫が飛び出さないかと、いつでも捕

まえることができるようにしてのことなのだが、恐れていた弾みというものが、起き

た。窓外に小さな虫が飛んできたのだ。猫は反射運動で、虫に前足を伸ばす。もう

ちょっとで届きそうな虫の動きを、鋭い猫の視線が追いかける。動体視力が捉えた

獲物を、猫のDNAは、当然ながら捉えろと指令をくだす。猫が動く。虫も逃げる。私

も猫を捕まえようとする。だが、猫の動きがわずかに素早かった。十二階の窓外を

飛翔する虫を追って、猫が窓から飛び出した。足もとは十数メートル下だ。私も慌て

て猫を追いかける。すんでのところで私の両手が、空中に浮いた猫を捉えた。心臓

がどきどきする。ところが、猫を捕まえている私自身が窓の外へ大きくはみ出してい

ることに気がつくのと、足もとが十数メートル下だと実感するのがほぼ同時で、私は

猫を掴んだまま中空に浮いていた。危ない! 猫を掴む私の手に力が入るが、足も

とはすでに何もない。ああ! 思わず声が出て、腹の底をひゅうと空気が抜ける感じ

がしたとき、何者かが私の身体を捕まえていた。あわや猫と共に地面に激突するか

と思えた私は、気がつくと十二階の窓の内側で猫を抱きしめて腰を抜かしていた。

                                   了

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