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第五百三十二話 溶ける [日常譚]

「暑いわぁ、溶けてしまいそう」

 誰かがそう言った。確かに、三十三度だなんて、この夏最高の気温だという

から、気温のことはよくわからないけれど、天気予報士がそういうのだから、最

高に暑いのに決まってる。そんな最高に暑いさなかに満員電車に乗って仕事

に出かけるなんてこと自体がまchがっているのではないかしら? 勝ってに自

分の都合のいいように考えてみたところで、会社が休みになるわけもなく、ただ

ただ車内の冷房を頼りに揺られていたが、車両をおりたとたに、むわっとした空

気に取り囲まれて、その空気が肌にまつわりつき、会社のあるビル群に向かう

少しばかりの道のりに汗だくになってしまうのだった。

 私の後ろを日傘を差して歩いている女は偶然一緒になったらしく、しきりに暑い

暑いを連発しながら歩いている。

「ほんと、溶けちゃいそう。なんとかしてよ、この暑さ」

 日傘で顔は見えないが、若いOLなんだろう。

「いっそ、溶けちゃったほうが気持ちいいかも。溶けて流れてそのままそこの

川にでも流されて」

「いやぁよ、そんなの。その川って、汚いじゃない。昔よりはきれいになったっ

ていうけど」

「ばぁか、冗談よ」

 たわいもない会話が、知り合いでもなんでもない私にはウザったく、一層暑

苦しい。でも、溶けてしまうなんて、まぁ、上手いこといってるのかもしれないな。

私は溶けてなんか……あ、しまった……まさか。

 私はもしかしたら溶けているのではないかとドキッとする。慌ててバッグの中

を確かめてみる。やっぱり。ドロドロになってバッグの中が大変なことになって

いる。昨夕、会社帰りにふと欲しくなってコンビニで買ったのがバッグの中に入

れっぱなしで忘れていた。銀紙が擦れて破けた隅っこからドロドロになってはみ

出したチョコレートが、バッグの中を一層暑苦しい甘い匂いで満たしていたのだ。

                                了


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