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第五百三十九話 名も無き話 [文学譚]

 私には名前が無い。忘れてしまったのではない、はなから、ないのだ。名前
がないだなんて、そんな馬鹿なと言われそうだが、本当なのだから仕方がな
い。名前がなければ困るだろう、そう言われて仮の名前だけは付けてもらっ
た。苅野生枝という妙な名前だが、確かに変な名前でもあったほうが良いみ
たいだ。
 名前がないと、区役所でも、病院でも、仕事場でも、「ちょっと、そこの、
名前のない人!」なんて奇妙な呼ばれ方をしなければならないわけだか
ら。仮りそめにでも名前があれば、「苅野さん、どうぞ」とすんなり呼んで
もらえる。そんなこと、当たり前じゃないの? なんて思う人は、自分には
ちゃんと名前があるからそう思うのだ。世の中には、案外と名前を持たな
い人が存在するのを知らないからそう思うのだ。いや、たいてい私と同じ
ように仮の名前は付けている。だって、そうじゃなければ先に言ったよう
に不便だから。
 名は体を表す、などと言われ、名前がその人の運命までも規定してしまうか
のように言われがちだが、実際のところはそうではないらしい。アメリカのどこ
かで、名前と犯罪者の相関関係を研究した人がいるのだが、その結果は、犯
罪と関係するのは、名前というよりも環境だそうだ。生活環境や親が与える環
境によって人生が左右され、犯罪に走るような人間になるのだという。ただ、こ
こで注意が必要なのは、犯罪と名前には直接的な相関関係はないが、犯罪者
を多く輩出するような環境下で付けられる名前には偏りがあるそうだ。つまり、
貧困であったり、被差別環境に暮らす人々は、より目立つ、よりユニークな名
前をつけたがるという。このデータはアメリカ社会の話なので、主には黒人が
置かれた環境というデータが多いのだが、結果、黒人的名前というものは、白
人的名前とは明確に違っているそうだ。
 話がそれたが、要は名は体を表すのではなく、環境が体を表し、その環境が
付けがちな名前があるということだ。私の場合は、生まれてまもなく捨てられて
しまったために親が分からない。親がわからないから苗字も名前も分からない。
私が収容された施設でもしばらくは十二号という番号が名前代わりに割り当て
られていたが、やはり名前が必要だろうということで、仮の名前がつけられた。
だが、生枝だなんて。苅野生枝だなんて、なんてこと。私はこれを自分の名前
とは認めない。確かに、戸籍謄本にはこの名前が記されているが、この名の
とおり、これは仮の名前に過ぎないのだ。
 仮の名前で歩む人生など、仮の人生に過ぎない。私はいま、自分の仮では
ない本当の人生を模索中だ。いまこの年齢になっていまさらなんでと言われ
るのだが、気づくのが遅かった私が馬鹿だったのだ。 
 冷静に考えれば、苅野生枝だなんて、只野馬鹿という名前と同様にふざけ
た名前ではないか。何故四十をすぎるまでこんなことに気がつかなかったの
だろう。だって、戸籍謄本にまで書かれてしまっている名前が仮りそめの名前
だなんて、普通は思わないでしょ?
 でも、私は遅くはなったが、気がついた。気がついたからには、正しい名前と
正しい人生を作り直す必要がある。私はそう思うのだが、間違っているのだろ
うか。

                                    了

※二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の「人称」課題として

2週間で小説を書く! (幻冬舎新書)

  • 作者: 清水 良典 出版社/メーカー: 幻冬舎 発売日: 2006/11

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