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第五百四十二話 フィンガータッチ [文学譚]

 がっしりした体格にふさわしい腕の末端で動くその指は、見かけはやはりし

っかりした筋肉質の肉体の一部には間違いないのだが、その動きは見かけ

に似つかわしくなく、繊細なやわらかさをまとっていた。彼の指が私の唇から

首筋へ、肩へと移動し、しばらく焦らすように同じところを這いまわっていたか

と思うと、唐突に胸に動いてそれほど豊かではない両の乳房を徘徊しはじめ

た。声にならない声を押し殺しながら私は全神経を彼の指の動きに集中し、

私の上に覆いかぶさる男の背中に回した掌は、指の動きに呼応するように

男の肩と背中の間を何度も何度も往復した。彼の指はまもなくゆっくりと腹か

ら下へと動いて、ついには私の中心部分をも陵辱しはじめるのだった。

 人生ではじめて、行きずりの関係を持ってしまった私は、男の連絡先も、名

前すら問わずに分かれてしまったので、その後二度とあの指と再会すること

はなかったのだが、あの初めてで奇妙な体験以降、私の身体の何かが変わ

ってしまったことに気がついたのは、二週間も過ぎてからのことだった。

 変調は私のボディに起きているのではなかった。男によって開発されてしま

った私のボディがいっそう感じやすくなったのかと思われがちだが、そうでは

ない。感じやすく変わったのは、驚いたことに、私の指先だった。

 それまで私は、自分の指先がこれほどまでに敏感だと感じたことはなかった。

もちろん、衣類の肌触りや、冷たい鉄の感触を指先で読み取ったりすることは

あっても、それ以上でもそれ以下でもない。全盲の人間なら、指先で点字を読

んだりするような繊細さを持ち合わせてしたりもするのだろうが、身体のどこに

も欠損のない私にとって、もっともよく使う感覚は視覚であり聴覚だ。美しさを

感じるときのほとんどは目であり、音楽の芸術性を愛でるときのみ耳を使う。

これは私に限ったことではないだろう。

 ところが、あの男との関係を持って以来……正確には気がついたのは二週

間後だが……指先に神経を集中しさえすれば、触れるものすべての美しさが

指先でわかる。たとえばいま座っているデスクの天板はアイボリーの樹脂で

コーティングされているのだが、フラットな天板を指でたどりながら縁の部分に

至り、さらにアールのついたエッジを指でなぞるそれだけで、私の指先は喜び

の悲鳴をあげはじめる。同じところを何度も何度も行き来するだけで、あたか

も自身の真ん中を誰かに悪戯されているかのような恍惚感が指先から私の

中枢へと伝達していくのだ。いま文字を打ち込んでいるパソコンにしてもそう。

キーボードに並べられたいくつもの凹凸を見せるキーの一つ一つが違う味わ

いを指先に伝え、さらにそのアームレストからエッジの部分に至る金属パネル

を指先で触れていくと、デスクにはないさらに硬質なイメージの恍惚感が花開

いていく。物体に対してすらこうなのだから、これが自分自身の身体に対して

行われたならば、とても仕事場では耐えられない。

 自宅に帰った私はベッドの上に一人横たわって、デスクやパソコンにしたの

と同じことを自分自身の身体に試みる。秘部に対してではない。腕や肩、腹に

対してである。右手の指先に神経を集中させながら、左腕にそうっと触れる。

その時点ですでに全身の鳥肌が立ち上がり、ぞぞっという幻聴が聞こえる。

肩から上腕、下腕へと指が移動し、左手の甲に至る時には、すでに私自身

恍惚感に溺れはじめている。右手は左掌を愛撫したあと、再びきた道を

戻って、肩から胸、腹へとまさぐりながら移動していく。もはや右手の指は

私自身のものではなく、切り離された個別の生き物として私を陵辱し、歓喜

の道を歩ませている。触られているボディにも心地よさはもちろんあるのだ

が、私を虜にしているのは、むしろ触っている指先から伝わってくる感触だ

というのが不思議な面持ちだ。まさか指にここまでの繊細さがあったなん

て。私はそれまで自慰というものをしたことがなかったし、おそらくこれから

もそうすることはないだろう。なにしろ、そんな下卑たことをするまでもなく、

指先で触れるだけで全能の神にでもなったかのような恐ろしい快感が私

の脳髄に攻め込んでくるのだから。この指先の鋭敏さが一時的なもので

はないことを祈りながら、私は再び、自分で自身をタッチする快楽に溺れ

ていく。

                          了

二週間で小説を書く!(幻冬舎新書/清水良典著)の<指物語>課題として

2週間で小説を書く! (幻冬舎新書) ·         作者: 清水 良典 出版社/メーカー: 幻冬舎


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