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第五百三十三話 帽子 [日常譚]

 窓から外を覗くと、予想以上に明るい窓枠の向こうに意地悪そうな陽光が僕

を待ち受けているのがわかった。これはキツそうだ。これは是非帽子をかぶっ

て出かけなければなるまいと思って、去年買った筈の帽子を探した。

 帽子は棚の上のダンボール箱の中にへしゃげた状態で見つかった。あちゃぁ。

一人で素頓狂な声を上げながら、へしゃげた帽子を元通りに引き伸ばす。なん

とか原型に近い形に戻った帽子をもって、洗面所の鏡の前に立った。ベージュ

色で中折れ帽タイプの麦わら帽子は、僕の頭の上に軽く鎮座して、鏡の中でお

どけてみせた。

「あれぇ? 去年買ったときはあんなに似合ってたのに。なんかおかしいな」

 再びひとりごとを言いながら一旦帽子を頭から外し、もう一度頭の上に乗せ

る。後頭部から乗せたり、額を隠すように乗せたり、右側に傾けたり、いろい

ろやってみるのだが、どうにも収まりが悪い。んー、なんか縮んだ? 麦わら

帽子が縮む訳はないのだが、なんだかそんな気がしたのだ。たぶん、もとも

と頭に対して小さめだったのか、へしゃげたために微妙に形が変わってしま

ったのか、ああ、そんなことよりも去年と髪型が違うのだと悟った。

 結局その日は帽子を諦め、強い日差しの中を無防備な頭で出かけたのだ

が、にあっていたはずの帽子が、似合わなくなったという遺恨が残った。その

二日後、たまたま通りすがった商店街の中にある帽子屋に、ふらふらと吸い

寄せられるように入った。

 入口近くに並べられている夏用の帽子を幾つか見比べた結果、去年買った

のに似たような帽子を手に取った。頭に乗せてみると、家にあるものよりもさ

らに小さい気がした。きれいに頭の鉢を包み込まないのだ。うーむとうなって、

別のものを試すが、やはり上手くフィットしない。それから意地になっていくつ

もの帽子を取っ替え引っ換え試していった。

「お客さん、どうやら帽子が小さいと感じているようですね」

 いつの間にか傍らで店主である男が僕を眺めていたらしい。

「ええ、どうにもサイズが合わないんですよね」

 店主は、静かに微笑んで言った。

「それはですねお客さん、帽子のサイズが合わないんではなくて、お客さんの

頭のサイズが違うんですよ」

 不思議な言い方をする人だなぁと思って聞いていると、人間の頭のサイズは、

同性の大人であればそう変わらないという。ただ、頭蓋骨のつなぎ目がずれて

しまって、若干頭が膨らんでしまうことがある。だがそれは本当の頭の形ではな

いので、元に戻してやる必要がある。頭蓋骨のズレを直して、頭のサイズを適正

にしてやれば、大抵の人は、これらの標準サイズの帽子で間に合うのだという。

 なるほど、よくいう骨盤のズレみたいなものなんだな。つまり、頭のサイズが

ぶれてしまっているので、元に戻すということなんだなと、僕は一人で合点した。

「お客様、奥の部屋へいらしてください。私がお客様の頭を直して差し上げます

よ」

 店主はそう言って僕を奥の部屋に案内した。店の突き当りに黒いドアがあって、

さらにその向こうに吊り下げられている黒い暗幕をくぐると、まるで電気椅子のよう

に厳しい安楽椅子が据えられていた。どうぞと言われて僕は硬い台座に腰を下ろ

す。その途端、ガシャっと軽い音を立てて両手首と両かかと、腰の五ヶ所に金具が

飛び出してきて僕を固定した。

「ああ、ご心配なく。からだがぶれないように固定しているだけですから」

 驚いているぼくに店主が穏やかな声で言った。

 ウィィィンと音を立てて天井から何かが降りてくる。歯医者のようなテーブ

ルに皮のベルトやドライバー、金づち、ナイフなど、拷問でもするかのような

恐ろしげな道具が乗っている。僕はビビった。こ、これは……どうやって僕の

頭のサイズを治すっていうんだ? 

「ああ、お客さん、これはね、私が新しい帽子を作るときの道具ですよ」

 店主は、はははと笑って僕の後ろに立った。そして両手を僕の首にかけて、

そのまま頭の鉢のところまでずり上げた。僕はなんだか背筋がぞくっとする。

まさか。店主の両手は僕の頭の鉢のところで止まって、一瞬空気が凍りつい

た。天旬も手に力がこもる。ぐぃぐぃぐぃ。ぐぃぐぃぐぃ。

「はい、お客さん、もう大丈夫。頭のサイズが戻りました。これ、まぁ、中国マッ

サージみたいなものでね」

 もう頭のサイズが元に戻ったらしい。

「ところで、お客さん、私の新作をご覧になりませんか?」

 店主にいわれるままに、僕はすでにロックが外された椅子から立ち上がり、

店主の後ろを追った。先程は気がつかなかったが、暗幕の外側にはいくつか

の作業台が並べられてあって、その上に棚が吊られている。棚の上には奇妙

な帽子がいくつも置かれてあった。

「これなんかどうでしょう」

 店主が僕に見せたそれは、普通の野球帽の裾四ヶ所から長いスチールの棒が

伸びており、重りがつけられた先端が床に届いていた。

「なんです? これは?」

「ええ、これは転倒帽子です」

 転倒帽子? 防止じゃないのか?

「これをつけていると、こけそうになった時に助かります」

 次に店主が出してきたのは、防毒マスクのようなものが付随した縁なしの帽

子。というよりも、頭までカバーがついた防毒マスクと言ったほうが早いかもし

れない代物。

「これは……なんでしょうか?」

「ええ、これが、大気汚染帽子ですね」

「大気汚染帽子……つまり、汚れた空気を吸わないように……?」

「あ、いえ、そうではないですね。この防毒マスクみたいなものをつけること

によって、自分が吐き出す二酸化炭素などを浄化できるので、息で大気を

汚さないという……」

 店主はその後も、イジメ帽子 不正コピー帽子、薬物濫用帽子などと呼ぶ

ものを次々と出してきたが、果たしてそれらはほんとうにその呼び名にふさ

わしいものであるのかどうかは怪しい。

 僕は、もう十分です、結構ですと告げて、店の方に戻ったが、店主は僕の

頭のサイズをほんとうに直してくれたのかどうか、改めて確認もせずに店を

後にした。なんだか、自分の頭に起きたことを実際に確かめてみるのが恐

ろしくなったからだ。だが、家に帰ってから去年買った帽子をもう一度かぶ

ってみたら、きちんと行儀よく頭の上に乗った。僕はどうやら、あの店主に

感謝せねばならないようだ。

                                了


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