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第七百二十四話 穴 [文学譚]

 それはほんの小さなくぼみだった。歩いていて気がつかない程度の。そのく

ぼみにかかとがはまった。一瞬、膝ががくんとなってなにかにつまずいたのか

なと錯覚したが、振り向いて足元を確認してはじめてくぼみに気がついた。く

ぼみは、わたしが踏んだためだろうと思うが、ひび割れができて、小さな穴に

変わっていた。

 翌日、同じ道を歩いていて、そういえば昨日つまずきそうになったなと思い

出して小さな穴を探したが、記憶したはずの場所に見当たらなかった。だが

しばらく歩いていると、がくんと足が一段落ちる感じがして、わたしは小さな

穴に足を踏み入れていた。その穴はゴルフ場のホールより少し大きいくらい

の穴になっていた。昨日と場所が微妙に違っているように思えたが、たぶん

それは記憶違いだったのだろう。なんだ、穴が大きくなってる。これでは少し

危ないかもしれないな。そう思ったが、まぁ、そのくらいの穴はよくあることだ

と考え直して歩き去った。

 さらに翌日。わたしは同じ道を歩いていたが、道の途中が一段低くなった

段差になっていることに気がついた。こんな段差があったかなぁ。そう思っ

て段差がどのようになっているのかと見渡すと、どうやら道の真ん中に大

きなくぼみができているのだった。くぼみというより、道よりも五センチほど

低い大きな穴と言ったほうがよさそうだった。ほかの通行人は、なに食わ

ぬ顔をして通り過ぎて行くのが不思議だった。わたしだけが気にしている

のだろうか。

 数日すると穴はさらに大きくなったようで、もはや道の真ん中に穴があ

ているなんてわからないほど、道の一部になってしまっていた。だが、

その真ん中あたりに小さなくぼみがあって、わたしはまたしてもその穴に

つまづいてしまった。ご想像通り、そのくぼみは翌日には少し大きな穴に

変化し、さらに数日後には大きな穴に変わっていった。

 こうして小さな穴が広がって大きな穴というか段差に変わり、その真ん

中にまた穴ができ、新たな穴はさらに大きな穴に変わって道の一部とし

て段差に変わり、次にはその真ん中にまたくぼみができて、それが大き

な穴に変化して……こういうことが続いていった。

 いったい全体がどうなっているのかわからない。想像では非常に幅の

広い階段状になった穴が街の真ん中にできてしまったような感じなのだ

が、その大きな穴に入ってしまっているのは、どうやらわたしだけらしい

のだ。ほかの通行人はどういうわけか、上手に避けて歩き去っているよ

うなのだ。わたしも他の人と同じように穴を回避しようとするのだが、気

がつけば穴の中に踏み込んでおり、他の人々よりも数段、いや、数メー

トルも低い位置を歩いているようなのだ。

 普通に考えれば、円形の穴であれば降りていっても、その先はまた昇

りになっているはずなのだが、この穴は降りっぱなしだ。わたしは穴の

中に降りたまま上に上がれない。上がれていないのに、どういうわけだ

か家と会社の間をちゃんと行き来できている。ただわたしのいる地面が

人よりも低いだけ。その仕組みも理由もわからない。

 ついにわたしは穴から抜け出ることができなくなっているようだ。上が

っていく道がわからないのだ。誰よりも低い位置で、穴の中で生活する

毎日。わたしはもはや穴から抜け出ることができない。

                               了


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