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第七百十二話 中途半端 [文学譚]

 詩を書きはじめて半年になる。いや、以前に書いてみたことはあったが、
続かなかったのだ。詩というものがよくわからなかったから。だが、二年
前に小説を書くようになって、その流れでもう一度詩を書いてみると、な
んとなく書ける気がした。心に生まれた言葉を大事に抱えて熟成させる。
もうしばらくそのままにしておくと、蕾がつき、花が咲く。そこではじめ
て紙を広げて鉛筆を持つのだ。すると、指先からビームのようなものが出
て実りはじめるのだ。なるひど、詩というものはこうしてできるのだなあ
とわかった。ただし、他人が書いた詩については、未だによくわからない。
だから、反対に私が書いた詩が誰かに理解されるのかどうかはわからない。
 小説についても同じような経緯をたどっていまに至っているのだが、この
にねんで書き上げた十篇の短編は未だどこにも発表し損ねている。
 かつてはじめて料理をつくったときも、母から教わるまではとても無理だ
と思っていたのが、やってみればなんでもなかったことを思い出す。調味
料の加減は覚えきれないのでレシピを見るが、勘だけでもなんとかなって
いるのは、ある種のセンスがあるからだと思うのだ。
 そういえば中学校の家庭科の授業以来触ったことのないミシンも、おとな
になってから安いミシンを手に入れていきなりスカートを作ったときも、な
んだ、簡単だなと思ったものだ。その後立て続けに、パンツ、ジャケット、
スーツまでこしらえて、十着ほど作って飽きてしまった。
 パソコンの打ち込みで作曲をはじめたときも、やってみれば案外簡単で、
オーケストレイションまでやってしまって十曲も作ったら、もうお腹がい
っぱいになってしまった。ギターのときもそう。駅前で演奏している若者
の姿を見て、やってみようと思いたち、すぐにギターを購入した。コード
を引き下ろすだけでは飽きあらず、アルペジオ、スリーフィンガーなどを
マスターしたころには飽きてしまった。
 なんだってできる。その気になりさえすれば。願い続ければ、願いはかな
うというではないか。こうやって色々なことに手を出しては放り出すとい
うことを繰り返してきたが、どんなことでもやってみたらできるものなの
だ。
 ちなみに本業は会社勤めをしているが、未だに一般事務員だ。同期入社の
女子の大半は寿退職し、残った一人はいまは課長職を手にしている。私
だって仕事は早いし的確だと思うのだが、可もなく不可もなしという評価
のままで年月が過ぎてしまった。
 かつてのミシン仲間は服飾デザイナーの道を得たし、ギターを一緒にはじ
めた友人はインディーズデビューをはたした。料理仲間だった人は、なん
だか最近では先生と呼ばれているそうだし、小説仲間の一人は新人賞を手
にしたという。私は興味を持ったすべてのものを如才なくこなしたという
のに、そのどれひとつとして何ものにもなっていないのはどういうことか
と、最近になって気がついたのだが、その理由は検討もつかない。
 なんでもできるし、なんでもそれなりにこなしてきたのにどうして? そ
ろそろ詩にも飽きてきたので、次のなにかを見つけたいと思っているのだ
が。マラソンでもやってみるかな。
                    了

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