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第七百十七話 涙の理由 [文学譚]

 理由もなくふいに涙がこぼれた。悲しくも、辛くもないのに。そういうこと

ってあるでしょう。もし悲しかったり辛かったり、心が落ち込んでいるのな

ら、いい方法があると聞いた。椅子に座っている状態から、「ヤッホー!」

と叫びながらぴょこんと立ち上がるのだそうだ。一度でだめなら、二度三度

繰り返す。どういうことかというと、身体の動きに心がついてくるそうだ。なる

ほどと思う。世の中には「ヤッホー!」と叫んで飛び上がりながら泣く人なん

ていないのだ。泣いていても、これをすると自然に笑いがこみ上げてくるとい

う。逆に言えば、さほど悲しくもないのに俯いて辛そうな態度を撮り続けてい

ると、自然に悲しくなってくるということだろうか。

 ではいま、私も「ヤッホー!」と叫びながら飛び上がれば涙は止まる? いい

や。それはないかな。だって悲しいわけでも辛いわけでもないのだから、心を明

るくしたって仕様がないのだもの。それにいまこの狭い空間で「ヤッホー!」と叫

べてもジャンプするのはどうかなと思う。ちょっと危ないかも。火にかけた鍋に当

たって火傷してしまうかもしれないし、手に持っている包丁でどこかを刺してしま

うかもしれない。キッチンでそんなことをするのは馬鹿げている。そう、いま私は

料理をしているのだ。

「お節に飽きたらカレーもね!」

 昔のコマーシャルのナレーションがいまだに頭に染み付いていて、そろそろカ

レーが食べたくなったから、さっきから急に思い立ってカレーを作りはじめた。私

のカレーはそんなに凝ったものではない。よくこだわって作る人がやっているよう

にスパイスから作るなんてことはしない。一度それをやってみてとても苦いカレー

ができてしまったという、文字通り苦い経験があるからだ。だからいつも市販のルー

を使う。あの固形化したルーでもいいのだが、そこは少しだけこだわって粉末状の

ものを使う。ひとつだけこだわっているのは玉葱だ。どこかの有名店の作り方を真

似しているだけなのだが、玉葱はくし型に切って具として入れるのではなく、多め

の玉葱を細かくみじん切りにして、これをじんわり飴色になるまで炒めることから

はじめるのだ。だからこの玉葱のみじん切りが最も重要であり、同時にたいへん

な作業だということになる。

 とんとんとん。たったったった。フードプロセッサーでもあればラクなのだろうけど、

玉葱四個を刻むのは結構面倒くさい。とんとんとん。ああ、目が痛い。涙が出てくる。

ね、こんなことをしながらジャンプなんてできないでしょ? それにジャンプして涙が

止まるようにも思えないしね。

                                     了


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