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第七百十一話 より道 [文学譚]

 映画にはまだ早いと思った。その前に寄るところがある。本のあるところ。

目的は小説だ。学校を出る前からどんな小説にしようかと思いを巡らせて

いたが、学校を出てしまうと、街の看板や賑わいの中で、なんとなく考えて

いたものがすべて吹き飛んでしまった。駅前にはお洒落なブティックや、楽

しそうなゲームセンター、海外から進出してきたというカフェが並んでいて、

結構な人が動いている。そうだ、とにかく食べなきゃ。人間、何をするにし

ても、まずは食べなきゃいけない。食べた上での映画なり小説なりのお楽

しみなのだから。

 ところで僕はあまり食い意地が張っていない。というか、食べることに関

心がないのだ。もちろん、食べなきゃ死んでしまうし、食べることが嫌いと

いうわけではない。食べるという行為が嫌なのだ。矛盾する言い方だけど、

所詮食べたって直ぐに出て行ってしまうではないか、という奇妙な考えが

小さな頃から染み付いてしまっているのだ。なぜだと問われてもわからない。

わからないけれど、できれば機械みたいに油を注入して、そのほとんどを燃

焼させ、カスはほとんど残さないという風になれるのなら、迷わずそっちを選

だろう。だから、毎日インスタントラーメンだけしかないと言われたら、まっ

たく問題なくそれでいい。またしても矛盾する言い方だが、とはいえ、まずい

ものより旨いものがいいに決まってる。インスタントラーメンと本格ラーメンが

並べられていたなら、これは当然ながら本格ラーメンを選ぶ。だが、本格ラー

メンを食べなければ行けない身体と、油だけで生きていける身体のどっちを

選ぶかと言われたら、多分後者なのだ。

 こんな理屈を考えながら、とりあえず安食堂に入る。このときはまだ親から

もらった小遣いしか持っていなかったから、食費はできるだけ抑えたかったの

だ。五百円の定食を食べて、食べながら次のことを考える。つまり、食べると

いう行為に費やす時間がもったいないと思っているのだ。ついでに言えば、

寝なくてもいい身体になれるものならなりたいとも思っている。しかし、残念

ながら僕は一旦寝てしまうといつまでも眠ってしまう。朝になって母親に起こ

されてもなかなか起きない。そんな体質だからこそ、眠る時間がもったいな

い気がするのだ。

 食堂を出てから本のあるところに向かう。割合い近いところにあるはずだ

と思っていたのだけれども、考え違いをしていたのか、なかなか見つからな

い。ようやく入口を見つけて中に入ると、すぐのところに広告ポスターがたく

さん貼られていて、そのとても格好いいデザインに惹かれた。様々な雑誌や

新刊本の広告に囲まれるように、広告自身をもてはやすポスターもあった。

「効果的な広告」だの「アートディレクターの時代」だの「広告コピーって面白

い」だの、そういうタイトルに僕は魅せられて、ついそれらの書物を手にして

しまった。

 そうだ、飯の種にならない小説みたいなものに手をだすより、こっちの方が

向いているのではないか。俄かに広告への興味が強くなって、ついには奥

にある小説にたどり着かずに広告コーナーに留まってしまった。別に慌てな

くても、広告を楽しんでからでも遅くはない。むしろ広告コピーというものを勉

強すれば、自ずと日本語も上達し、むしろこっちの方が感性が磨かれるので

は。それに、広告には映像部門もある。小説にこだわるよりも、こっちの方が

映画にも行きやすいではないか。そう思った。

 広告コーナーで過ごした時間は長かった。気に入ったということもあったが、

いったんはじめてしまうとそれなりに奥が深いから離れられなくなった。時間

が過ぎるのも忘れていつまでもそこで過ごした。気がつくと、もう時間が残り

少ない。慌てて小説の方に向かう。すでに広告コピーについての造詣を深

めているから、それは何かしら役に立つと思って小説コーナーのとっつきに

立った。ところが、広告の世界とは似たところもあるにしても、まったくと言っ

いいほど違うことに気がついた。しまったと思った。もっと早い時間にこちら

に来ておくべきだった。そう思ってももう遅い。いまさら失った時間は取り戻

せない。しかし、当初から考えていたこの小説を飛び越えるわけにはいか

ない。なぜならば、広告コーナーでは映像についても知り得たものの、その

まま映画へは行けないことにも気づいていたからだ。もうほとんど時間はな

い。ないけれども、まだ小説の入口に立ったばかりだ。しかし迫り来る時間

も気になる。映画に間に合うのだろうか。

 ようやく小説の最初の一文を読み終えた僕は、次第に焦ってきた。死ぬ

までに間に合うのだろうか。映画はおろか、小説をものにすることさえでき

ないかもしれない。広告というつまらないものにとらわれて、僕は長いより

道をし過ぎてしまっていた。僕はこの時、すでに六十歳になっていた。

                           了

 


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