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第七百十五話 スタジオ [謎解譚]

 都心の一画にある古びたビルの中に、二階までをぶち抜いた広い空間が
設けられている。マンションの部屋でいえば、悠に二軒分ほどの敷地はあ
ろうかというこのフロアの壁は白く塗り込められていて、二階にあたる空
間の一部は被写体となるモデルたちの控室として機能しており、鉄筋の階
段で上がっていくようになっている。フロアでは先ほどから数人の助手た
ちが忙しそうに動き回っていて、これからはじまる仕事の準備が着々と進
められていた。
 広告という一見華やかな業界の中身は、おおよそこのような閉ざされた
空間で作られていく。煌々と点灯されているいくつものライトが広いフロ
ア全体を明るく保っているが、仕事が終り人々か去ってしまうと、暗闇の
世界に戻ってしまう場所である。
 控室から今様のファッションに包まれたモデルが降りてくると、一同は
背筋を伸ばして、立ち位置に誘導する。カメラマンが調整を尽くしたスト
ロボライトが閃光のように光り、さまざまにポーズをとるモデルの姿をデ
ジタル画像として定着させていく。数時間で終わる場合もあるが、ときに
は朝から夜までかかって数多くのカットを撮影していく。PCに取り込ま
れたいくつものモデルの小さな影が、今日の成果として全員の心を満たし、
モデルが去った後、それぞれの仕事を終えてスタジオを後にする。
 成果はやがて印刷物や映像として増殖されて世に披露されるのだが、そ
うでない消耗品は、すべてスタジオの中で打ち捨てられる。たとえば消え
モノと呼ばれる食品や、装飾に用いられた小道具。再利用される可能性が
あれば、スタジオの隅に収められ、そうでなければゴミ箱に直行する。
 この日、サスペンス仕立てのストーリーで構成された撮影シナリオは、
多くの小道具が求められた。凶器となったナイフや拳銃の類は、棚の上か
ら簡単に取り出されたが、その餌食となった死体は、誰かが演じなければ
ならなかった。血を流して俯けに倒れているだけなので、誰でもよかった
のだが、そこにいる誰もが嫌がった。この日のカメラマンは、リアリティ
を追求するタイプの人間だったからだ。撮影助手が街頭に出て走り回って
日雇いの人物を連れて戻ってきて、スタイリストの手により死体にしつら
えられる。広告としてはかなりアバンギャルドな設定であるが、強烈なイ
ンパクトを求める大衆に向けられる表現は、日夜このようなモチーフを求
めるのだ。
 ゾンビのようにメイクアップされた男が可愛いモデルに襲いかかる。モ
デルは逃げまどったのちに、後ろ手に隠し持ったナイフで反撃する。男の
腹部を突き刺す光。モデルの足元に倒れる死体。流れ出る血液。すべてが
リアルに演出され、極めてエキセントリックな広告素材が生まれた。きっ
とこれらは世の中を驚かせ、ミステリー雑誌の広告キャンペーンを成功に
導くだろう。
 撮影が終わったあと、消えモノとなってしまったアルバイトの死体が残
る。それはゴミ箱に捨てるわけにもいかず、スタジオの奥にある大型冷凍
庫に収納される。すでにこの中にはいくつもの同じような死体が収まって
いる。数多くのアーティストが試みたリアル表現の残滓。いつか処理され
る日まで、ここに滞留させられ続ける裏の成果。華やかに見える世界の裏
側には、常にこうした残像が置き去られているのだ。
                                   了

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