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第八百二十一話 人質になろう [文学譚]

「ねぇ、お腹すいたでしょ? なんか作ろうか」

 麻理子はテレビの前でごろごろしている真太に声をかけた。真太から返事が帰ってこないので、アパートのキッチンに立っていた麻里子は包丁を手にしたまま真太の背中にもう一度話しかけた。なんとなくこのところいつもと様子が違うのが気になっているのだ。

「ねぇ、なにかあったの? またなんか悪いことしたんじゃないの?」

「うるせえな。ほっといてくれよ」

「あ、やっぱり。もしかして……

「おめえが金をくれねえから、ちょっとな」

 そのとき玄関を叩く音がした。

「警察だ。ここを開けなさい」

 真太の顔色が変わった。し、しまった! 捕まる! 小さく叫ぶ真太。小さなアパートの二階だ。逃げ道はない。窓の外を見下ろすと、パトカーが二台停っていて、窓から逃げるわけにもいかないようだ。

「ど、どうしよう」

 おろおろする真太に、一瞬にしてすべてを悟った麻理子が天井を指差した。

「て、天井? 天井がなんだ?」

「天井裏に隠れるのよ」

「そ、そうか。なるほど。そこからどっかに出られるのか?」

「うん、たぶん。設備業者が天井から屋根に出るのを見たことがあるわ」

 玄関外では、警察が鍵を開けようとしてガチャガチャやっておる音が聞こえる。麻理子は真太が天井裏に登るのを手伝ってから平静を装うことを考えていたが、天井に登った真太麻理子を呼んだ。

「おい、お前も上がってこい」

「なんで?」

「いいから、来るんだ」

 どういうつもりかよくわからないまま、麻里子は真太に言われるままに天井に上がることにした。もし屋根裏に長居することになったらと思い、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して真太のあとを追った。

「おい、包丁をよこせ」

 麻里子は料理をしようと思って手にした包丁を握ったままだったのだ。ふたりは天井裏を這い進み、その先に屋根に出る通路を発見した。

「いいか、部屋に誰もいなければ、警察は諦めて帰るかもしれない。だが、そうじゃないときは、俺はお前を連れて屋根に上がる。そのときお前は人質になるんだ。

「人質って……私、あなたの彼女じゃない?」

「なんだっていいんだよ。そんなこと奴らにはわからないんだから」

 このすぐあと、二人は屋上に出て、麻里子は真太の人質になった。やがてテレビカメラもやって来て、アパートの下は大騒ぎになっているようだった。それから約七時間、肌寒い屋根の上で裸足のままで過ごしながら麻里子は思った。なんかたいへんな騒ぎんいなってるみたい。あれ、テレビ局なのかしら? 私たち、テレビに映ってるの? いやだ、恥ずかしい。もっとマシな服を着ておけばよかった。お料理でも作ろうって思ってたのに、こんなことになるなんて……だけど……私、なんでこんなことしているんだろう。私が警察に追われているわけでもないのに。でも、いま私だけがここを降りたら、真太はひとりで捕まってしまうだろう。私が人質としてここにいる限り、真太だって逃げおおせるかもしれないんだから。

 麻里子はもう考えることをやめた。黙って真太についていればいい。それがいまできる最良のことだ。真太とはもう三年一緒に暮らしているが、結婚とか恋人とか、愛し合ってる者が一緒に暮らすってことは、こういうことなのかもしれないな。奇妙な思いつきだったが、運命共同体という言葉が頭の中をかすめたのだ。

                                    了



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