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第七百九十七話 四月ばか [文学譚]

 十七年前の大震災以降、世の中なにが起きても不思議ではないという思いが芽生えた。さらに二年前の大震災によって、それは確信に変わった。一瞬にして死と隣り合わせになるという体験は、それほど強烈に心を変容させ、記憶に刻まれてしまうものなのだ。

 普段、何事もなく安穏と暮らしている人間にとって、そんなめったやたらになにかが起こるわけがないと信じ込みがちだ。だが本当にそうだろうか。唐突に交通事故に巻き込まれる。思いもよらないような暴風雨に晒される。突然虐めのターゲットにされてしまう。こんなことは序の口だ。

 新聞を見ればわかる。児童虐待の当事者になってしまう。パソコン遠隔操作によって犯人にされてしまう。満員電車の中で冤罪を被る。わけのわからない家族によって取り込まれて殺されてしまう。拉致されて他国に連れ去られる。海外旅行中にレイプされて殺される。国際テロに巻き込まれる。……すべて昨日までは普通の生活をしていた人の身に起こったことだ。

 それでもまだ、テレビや新聞のニュースに表れているようなことは、自分の身には起こらないと信じている人も多いことだろう。だが実際には、ニュースにはならないようなことが身の回りでも起きているはずだ。

 僕の場合。

 ある日、自分が自分じゃなくなっている。ある夏、学校が消え去っている。母がいなくなる。父が突然死んでしまう。突然、友人が友人じゃなくなる。目の前が真っ暗になる。これはぜんぶ誰にだって起きうること。もっとも、自分じゃなくなったぼくは、また自分に戻れたからこんなことを書いているんだけどね。

 携帯メールが入った。悪友からだ。なになに? 服を着た猿が歩いている? なんだって? 服を着た猿? 一瞬驚いたが、服を着たチンパンジーなんて、テレビにもよく出てるじゃないか。そう返すと、そうじゃない、もっと大勢の猿が服を着てしゃべりながら街中を歩いているんだというメールが返ってきた。

 んな馬鹿な! と返しかけて気がついた。そうか、今日は四月一日だ。なぁんだ、冗談か。するとまたメールが返ってきた。冗談だと思うのなら、街にでて自分の目で確かめてみろ。

 ちょうど学校に向かう時間だったので、ぼくは準備をして表に出た。通りは静かだった。誰も歩いていない。車さえ走ってないのがむしろ不気味だった。

 静かな通りを駅に向かう。五分あまり、誰とも出会わない。自動改札を抜けてホームに降りるとようやく人影が見えた。なぁんだ、いつもと同じ風景……だが、よく見ると、ホームにいるのは服を着た猿たちだった。スーツにネクタイを締めた男。ひらひらした春らしい柄のワンピースを着た女。ランドセルを背負った子供。杖をついた老人。みんな猿が服を着て電車を待っている。

 やがて電車が近付いてきたが、その中に乗っているのも服を着た猿たちだった。停車した車両の窓ガラスを見て目を疑った。そこに映っているはずのぼくの姿も服を着た猿に見えたからだ。

                                     了


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