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第八百一話 穴埋め [文学譚]

 壁に小さな穴があいていた。テレビを置いてあるところの後ろの壁の左手の方だ。いままで気がつかなかった。あまりにも小さな穴だからだろう。はて、なんの穴だろうと近づいてみると、押しピンの穴であることがわかった。そうだ、ここには去年まではカレンダーがかかっていたんだっけ。今年はカレンダーを買わなかったから、不要になったカレンダーを外したのだった。あのときは、古いカレンダーを捨てなき、新しいカレンダーをどうしようと、そっちにばかり気を取られていたので、穴のことなど目に入らなかったのだ。

 こういう小さな瑕疵は、気がつかなければなんでもないのに、知ってしまうと気になって仕方がない。テレビを見ていても、横の方にある小さな点に目がいってしまうのだ。ほんとうに小さな穴なので、爪で壁紙のところを押さえたり穴を埋めるように壁紙を寄せ集めると、なんとなく穴は見えなくなった。

 公園の遊歩道を歩いていて、アスファルトが敷かれた道に小さな穴が開いていた。そのときは底の平らなスリッポンを履いていたのだが、ヒールを履いていたらすっぽりとかかとが入ってしまいそうな穴だ。どういうわけか私は、道の穴や下水の蓋の隙間にかかとが挟まってしまうのだが、あれはかっこう悪い。普通に歩いていて突然かかとが捕らわれるわけだから、片足だけが後ろに残って無様な形で立ち止まることになる。勢いよく歩いていたりしたら、ひっくりかえったり、片足だけ靴が脱げてしまうことにもなる。誰にも見られていなかったかなと周りを見回しながら道に挟まった靴を両手で抜き取ることになってほんとうに無様だ。

 そういうことがある私にとって、道に開いた穴はある種恐怖だ。もしかして誰かヒールを履いた人がこの穴にかかとをとられないと誰が言える? そう考えた私は道端を探して小石と土でその穴を埋めにかかった。ちょうどいい感じの丸い小石が見つかったので、首尾よく穴を埋めることが出来た。ほんとうにこのくらいの穴はどうでも良いようだけど実は聞けんなんだ。補修ができて良かった。

 それからというもの、私は身の回りの穴が気になりはじめた。もともと細かいことが気になる質でもあり、たとえば洗面所にかかったタオルのゆがみやテーブルの上の調味料の並び方などもしょっちゅう整えるような性格だからか、いったん気になりはじめたらどうしようもないのだ。セーターに開いた小さな虫食い穴、椅子のビニール座面の穴、絨毯のほころび穴、バッグの側に出来た傷穴、ベランダのところの網戸の穴、歩道で見つけた大きめの穴、見つけてしまった穴をすべて何かで埋めて回った。我ながらちょっと病的かなと思いながら。

 ちょっと前に仕事に疲れていたときに読んだ新聞の人生相談コラムを思い出した。生きる目標を見失ったら、とにかく目の前の穴を埋めることからはじめるといい、というようなことが書かれてあったからだ。もちろん、ここでいう穴というのは比喩なのであろうが、私は納得した。あまり大局に捕らわれずに、目の前にある穴を埋めるような小さなことをこつこつとこなしていきなさいということなのだろうなと一人で合点した。いま私が埋めて回っている穴は、そういうことの象徴でもなんでもないけれども、これもたぶん意味のあることなんだと勝手に理解した。だが……

 洗面の鏡を見つめてどうしたものかと頭を抱えた。写っている私の顔。いままでどうして気がつかなかったのか、これこそ穴だらけではないか。

                                 了


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