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第六百八話 できない [日常譚]

 新幹線の禁煙車両で弁当を食べ終わった欣三は、ずっとそわそわしたまま居

眠りもできないでいた。どこもかしこも禁煙づくしのいま、新幹線も禁煙が当

たり前になってきた。欣三も時代に逆らえずに、禁煙まではしていないものの、

節煙の努力をしているのだが、東京までの二時間半、いつ煙草を吸いたくなっ

てもいいように、喫煙ブースの近くに指定席を取るようにしている。ところが、

今回は、どの列車も満席で、ようやく取れた列車は、全席禁煙で喫煙ブースも

ないのだった。

 節煙をはじめて半年も過ぎている欣三は、二三時間吸わないことなど普通に

あるのだが、二三時間吸ってはいけないといわれると、妙に吸いたくなるのだ。

禁煙車両の座席に座ったまま、貧乏ゆすりをしながら、欣三は考えていた。あ

あー、吸いたいなぁ、煙草。いつもなら別に吸わなくたって大丈夫なんだが、

ダメだってことなると、逆にダメなんだよなぁ。なんでかなぁ。人間っておかし

なもんだよなぁ。映画を見る時だって、二時間トイレにいけないとなると、無性

に小便したくなったりするんだよな。だからみんなはじまる前にトイレに並ぶん

だろ? あれってほんとうは尿意があって行くわけじゃないんだよな、俺の場合

だけど。それにしても吸えないとなると、なおさら吸いたいんだよなー。ああー

吸いたい! 我慢できないよ〜。 今や二本くらいしか吸わない日もあるというほ

どの欣三なのに、新幹線が東京駅に着くやいなや、喫煙所を探し回って煙草に火

をつけた。ああ〜クラクラする。時間を開けて喫煙すると、頭がクラクラして、

それがまた快感だったりするのだ。

 できないといわれていっそうしたくなることはほかにもある。飯、酒、セッ

クス、パチンコ、テレビ、ゲーム……なんだってそうなのだ。どんなことだって、

禁止されればされるほど、逆にしたくなる生き物、それが人間じゃないか。普

段しないようなことだって、ここではできないよなんていわれたら、なんだそ

れは、やってやろうじゃないかと思うし、やってやろうなんて一度思ってしま

うと、何が何でもやりたくなる、それが人情というものなのだ。 そう考えると、

いっそ禁止などしない方がいいんじゃないかとすら思える。禁止することによ

って、人の心は刺激され、トライしたくなるに違いない。

 東京駅の喫煙所を出た欣三は、急に尿意を感じて公衆トイレを探した。駅の

外れにあったトイレに入ると、ちょうど男子用便器の目の前に張り紙がしてあ

った。

「ここで人殺しはできません」

 なんだこれは? 賀萬出欣三は、奇妙に思ったが、ぼんやりとその張り紙を眺

めながら、結構溜まっていた水分を長い時間をかけて排泄するのだった。

                        了

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