第六百二話 蝉 [日常譚]
蝉の声が聞こえる季節になると、子供の頃の思い出が蘇る。中国の故郷で、
幼馴染と雑木林の中を走り回っては樹木に止まって叫んでいる蝉にあみを被
せて捕まえた。何しろ広い公園だったし、蝉は無数にいた。捕まえた蝉は、日
本の子供たちは夏休みの自由課題か何かのために標本にするくらいしか用
途がないのだが、中国では違った。蝉は子供たちのおやつなのだ。渓流で釣
り上げた川魚を食べるように、野原に咲いている小花の蜜を吸うように、私た
ちは蝉をつかまえてはその肉を口にした。生で口にするわけではない。捕まえた蝉を指で押さえつけて、まず足と羽を
もぎ取って動けないようにする。残酷だなんて言わないで欲しい。日本人だっ
て海老や蟹を同じようにして、手足をもぎ取ってたべるではないか。あれと同
じだ。蝉は小さいからわざわざコンロにかけることもない。指で胴体をつまん
でおいてライターやロウソクの火で頭の下、胸のあたりをしばらく炙るのだ。
すると香ばしい香りが辺りに漂う。うーん、思い出しただけでも唾が出てくる。
私は蝉の鳴き声を耳にする度に、故郷で嗅いだあの蝉を炙ったときの香ばし
い香りを思い出すのだ。少し炙った蝉の頭をもぎ取り、爪楊枝の先で頭にぽ
っかり開いた穴をほじる。すると、爪楊枝の先に茶色い小さな肉が引っかか
ってくる。それが蝉の肉だ。一度食べてみるといい。美味しくて癖になるから。今年の夏、私は遂に我慢できなくなり、子供の虫網を借りて近所の公園に
行った。いい大人の女が蝉を捕まえているというのも絵にならないので、でき
るだけ人影が少ない早朝を目掛けて公園に向かった。このあたりの公園は
あまり大きくないので、蝉の鳴き声も少ない。それでも賑やかな鳴き声がす
る樹木を探すと、何匹もの蝉が止まっているのが見つかった。昔取った杵柄
で、虫網を構えて目ぼしい蝉の上にかぶせる。二、三度失敗した後、ようやく
捕まえた蝉を私は手に取って足と羽をもいで、ライターで炙った。みーんみー
んと鳴き騒ぐ蝉はすぐに静かになり、私のおやつとなった。旨い。やはり蝉は
旨いのだ。この美味を夫や子供たちに是非教えてあげたいのだが、夫にそ
の話をすると、頭ごなしに拒否された。やはり虫を食べるという習慣が、日本
人にはわからないのだ。
食文化は国によって、あるいは同じ国内でも地方によって、随分違う。生魚
を食する日本の食文化を拒否する欧米人もいる。イルカを食べる和歌山の文
化は、海外から大いにバッシングされている。中国やその周辺の国々では、
もっと多様なものを食べる文化がある。そういう食文化は、その土地に暮らし
た人間にしか理解されないのだろう。それでも、私は私の故郷のことを理解し
てもらいたいから、夫にも蝉の美味しさを知ってもらいたいと思ったのだが。
でも、考えても仕方がない。嫌なものは嫌なのだろう。それならば、ほかにも食べたいものがある。日本人になってからは口にした
ことのないあの美味しい肉の味を私は思い出していた。そうだ、あれなら夫だ
って食べられるかもしれない。そう思うと、私は嬉しくなって、すぐにでも獲物を
探しに行きたくなった。夫に与える前に、私自身が食べてみたい。食べて子供
の頃住んでいた故郷を懐かしみたい。でも、どうやって捕まえたらいいんだろう。
いろいろ考えた挙句、私はロープとバット、獲物を入れる大きな袋を携えて、近
所の公園に向かった。了