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第五百九十六話 ひげがある [文学譚]

 気がついたのは十一歳の春だった。まだまだ子供らしいやわらか少し赤みが

さしたような肌に、一本だけ黒々とした毛がにょろりんと伸びていたのだ。左頬

のしたの方。なんだこりゃぁ? と鏡を覗き込みながら調べてみると、髪の毛の

もみあげあたりの毛が顔を出す場所を間違えたといった感じ。父親の顎に密集

しているあの固くてゴワゴワしたものとは全然違うものだと確信した。気がつい

た時には二~三センチほども伸びていて、それも直毛ではなくてくりんとカール

している様が可愛らしくて、このまま育ててみようと思ったのだけど、誰かに見

つかったら、それは恥ずかしい存在であると考え直して、一週間後に毛抜きで

つまんで抜いてしまった。

 それから半年ばかり過ぎた頃、今度は反対側の顎上あたりに、また一本ぴょ

ろりんと伸びている毛を発見した。今度も同じような毛質のものだったが、根元

のところに、もう一本赤ちゃんみたいなのが顔を出しているのが違っていた。こ

のときも前と同じような気持ちでしばらくしてから毛抜きで引っこ抜いた。

 中学生にもなると、鼻の下や顎の先に、髭らしいものが伸びかけている男子

生徒が増えてくる。ちょうど思春期のはじまりで、男性ホルモンが活発になりは

じめる年齢なのだろう。中にはすでに大人の男のようにもみあげから顎までが

黒々とした髭でつながっているような猛者もいる。もちろん女子は髭など伸び

ている者などなく、私もそのひとりであるはずだった。だが、実際には違った。

 そう、小学生にして髭を見つけた私は女子だ。それなのに、思春期になると

男子と変わらないような髭が生えはじめたのだ。理由はわからない。たぶん、

一種の先祖返りなのではないかと思う。まだ中学生のころは量も濃さもたいし

たものではなく、体毛の濃い女子はほかにもいたので、あまり気にならなかっ

た。だけども、高校に進学時には剃毛しなければならないほど濃くなっており、

しかも剃った跡が青々としているような状況になっており、母親から変だとい

われてはじめてことの重大さに気がついた。

 高校生にもなると、大人同然に髭を生やしている男子生徒も現れている一

方で、髭の濃いい女子というのはいただけない状況になってくる。だが、私は

泰然としていた。あの太い毛を見つけた子供時代の経験がそうさせたのかも

しれない。他人と違っていても、これは私の体であり、私の体毛なのだ。私は

私なのだと、なぜかそう思うことができた。高校一年生の頃は、それでも髭の

処理、つまり剃ったり白く染めたりしていたのだが、受験勉強の傍ら、髭に手

をかけるのも面倒くさくなって、次第に伸ばしっぱなしになっていった。女子が

ある日突然つけ髭等で髭面になったら驚くだろうが、人っていうのは不思議な

ものだ。少しづつの変化は気にならないものなのだ。

 髭剃りを止めた私の顔には、毎日少しづつ髭が伸びていった。髭が生えて

くるのは、鼻の下と顎からもみあげにかけて。まだ子供でもあり、伸びる速さ

はゆっくりだった。半月くらいで、無精髭然となり、なんだか汚らしいおっさん

になった気分だったので、マスクをつけていた。それに毛根のあたりがチク

チクしたが、ここで剃ってしまっては、また最初からの繰り返しになると思っ

て我慢した。ひと月すると、それなりに伸びてきて、男子だったら格好いい

かもしれないなぁと、鏡を覗き込みながら呑気に考えていた。

「チャコ、どうしたの、それ? つけ髭?」

 友人が不思議そうに聞いてきたのも、この時はじめて。私が友人にはあ

りのままを話すと、みんな「ふーん、そうなんだ」とそれ以上の関心を示さ

なかったので、内心ほっとした。正直、この時が一番どきどきの時期だっ

たから。みんなから笑われて石でも投げられるのではないかと思っていた

から。男子からも「髭女」といじめられるのではないかと思っていたが、堂

々としていたら、存外何も言われないものだとわかった。

 半年も過ぎた頃、ようやく希望していた長さまで伸びてきた。頬や顎の

髭が十数センチほどに伸びてきたのだ。ここまで伸びる途中でもいろい

ろ試してきたが、やはり中途半端。括るにも、リボンを付けるにも、十セ

ンチはないと。いまようやくさまざまなアレンジが楽しめる位に成長した

のだ。私はかねてから準備してきた様々なヘアアクセサリーを使って、

髭のアレンジを楽しむようになった。編み込み、部分三つ編み、ポニー

テイル、サイドシニヨン、お団子、ゆるふわウェイブなどなど。ロングに

しているヘアとの組み合わせで自在なアレンジが広がった。リボンや

シュシュ、バレッタなどのアクセサリーに加えて、毛染めカラーも含め

ると、本当に様々なお洒落が楽しめるようになった。

 私が髭をアレンジして学校に行くようになると、それまで怪訝な顔で

見ていたクラスメイトも、目の色が変わった。そりゃぁもう、真似をして

みたいという感情がストレートに伝わってきた。しばらくすると、隣の

クラスに髭を生やした女子が現れた。私のように髭のある女子が他

にもいたのだ。体毛の薄い女子の中には、父親の育毛剤をローショ

ンみたいに顔にペタペタ塗っている子もいるそうだ。

 私が三年生になる頃には、女子の五分の一は髭を生やしているか

付け髭を付けているという状況になり、他校でも同じような髭お洒落

が女子の間で流行しているという情報が伝わってきた。女子に髭。普

通なら必死で脱毛を願うところなのだろうが、私が選んだ生き方が、

多くの女子に受け入れられたのだ。髭がある女子。そう、私は、私た

ちは、おしゃれに髭を楽しむ”髭ガール”。新しい女子の時代を創造

する。

                           了

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