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第五百九十二話 夜顔 [恋愛譚]

 夕顔とも呼ばれるその花は、夜ごと白い花を開き、美しさを人に披露する。

しかし優しげな花だと思って手を出すと、その鶴には棘があって人を傷つけ

る。

 毎夜美しく着飾ってお店に出る夕子は、自分はまさに夜顔のような女だと

思う。自分で言うのもなんだが、色白で白粉のりのいい肌は密かな自慢だし、

夜ごとやってくる男たちは、みんな私の器量を拝みに来るものだと自負して

いるのだ。今日もまた私目当てにやってきた男たちは、何かにつけていい寄

ってくる。

「なぁ、夕ちゃん。今日はもう店じまいにしてはどうだい? 俺が旨い寿司

屋に連れてってやるからさ」

「あら、私を連れ出すと、それはそれは高くつくわよ」

「またぁ、そんな意地の悪い」

「うふふ。今日はまだ、店じまいするわけにはいかないわ。お店の払いのため

には、もう少し働かないと」

 ようやくその客が諦めて帰ったと思えば、また別の客が言い寄ってくる。

「なぁ、ママ。そろそろデートしようよ」

 こいつはまた直球を投げてくる。こういう男には、直球で返すに限る。

「なぁに。なんで私がお客さんとデートしなきゃぁなんないの? あなただけ

特別名ことしちゃったら、ほかのお客さんに申し訳ないわ」

「あれぇ? そんな気を遣わなきゃ行けない客が、俺のほかにいるのかい?」

「よく言うわ。あなた以外はみんな気を遣わなきゃいけないいいお客様ばかり

なのよ」

 それでもうだうだ言うこの客を適当にあしらって酔わしてしまう。酔ってし

まえば、タクシーを呼んで差し上げて送り出す。

 毎晩毎晩、こんな調子でお酒を売りつけてはいい気持ちになってもらうのが

私の仕事。夕顔だなんて、言葉は美しいけれども、実際はとんでもなく重労働。

それに・・・・・・まだ若い頃だったけど、一度だけ酔った男に言い寄られて身を許

してしまったという苦い経験がある。その客は決して悪い男ではなかった。む

しろいい男で、私が水商売じゃなければ、本気で惚れていたかもしれない。そ

ういう気持ちがあったからこそ、部屋に引き入れてしまったのだ。男は酔って

いたので、結局何もしないうちに眠ってしまい、翌朝は夕子が先に起きて朝食

を食べてもらって早々に送り出した。その後もいい関係を求められたが、いつ

しか転勤でいなくなってしまった。

 あれでよかったのだと、いまになって思う。もし、あの人とその後も続くよ

うなことになっていたら、夜顔としてのいまの私はいなかっただろうと思うか

ら。夜顔だなんて、人に言うのは本当に恥ずかしい。夜顔っていう言葉は美し

いけれども、私が自分のことを夜顔だという本当の訳は・・・・・・人に見せられな

い夜の顔があるからなのだ。

 深夜三時に帰宅した夕子は、シャワーを浴びて化粧を落としながら思う。今

日はよく働いたし、その分飲んでしまった。こんな生活、いつまで続けられる

のかしら。髪を乾かして、ネグリジェに着替え、一人ベッドに入ってからの夕

子の姿は、誰にも見せられないと夕子は自覚している。寝入りばなは静かだっ

た寝息は、やがて大きな鼾に変わり、まるで機械工場みたいな音に変わる。夕

子は自覚していた。ひどい鼾をかく自分を。酔った夜にはとんでもない騒音を

吐き出していることを。でも、自分の寝室には誰もいないのだから、そんなこ

とは気にしない。

 ぐぉー、ぐがががが、すぴー。ぐぉーぉー、ぐがががが、すぴー。

 いささか蓄膿気味の夕子はぱかっと口を開けたまま大きな鼾をうなりながら

今夜も心地よい眠りについているのだった。

                     了

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