SSブログ

第五百九十三話 実存 [文学譚]

 何もハイデッガーやサルトルなんて難しい人の話をするまでもなく、実存の

話はできるわね。正確には実存主義とか現実存在とか、そんな言い方もあるら

しけど、要は、なぜ私はここにいるのか、私は何のために生まれてきたのか、

という哲学の入り口にあり、また出口までもついて回る考え方。

 いまさら私にいわれるまでもなく、みんなだって考えたことあるでしょ、

俺はなんでここにいるんだろうとか、何のためにここにきたんだっけとか。

そう、それが実存だよね。みんなも同じかもしれないけれど、私はいま、

毎日のように実存と向き合っている。私は誰? 私は何? なぜ生まれて

きたの? ある人は言うだろう。あなたは、必ず何かの役に立つために生

まれてきたんだって。あるいはこんな言い方も。みんな誰でも何かの使命

をもって存在しているのだと。確かにそうかもしれない。だけども、そう

じゃないかもしれない。存在している理由など、全部後付けの理屈にしか

過ぎないんじゃないの? そう思わざるを得ない。だっていまの私は何か

の役に立っているなんてとても思えないから。むしろ、ゴミを作ったり、

変な病気にかかってしまったり、むしろみんなに迷惑をかけることばかり

で、とても役に立ってるとは思えないんだもん。私がそういうと、さらに

理屈をねじ曲げた発言がされる。それでいいのよ。その、周りに迷惑をか

けているかもしれないというあなたの存在が、他の誰かを成長させること

につながっているかもしれないわけで。だとしたら、あなたはその誰かを

成長させるという役に立っているに違いないわと。

 結果的にはそういえるかもしれないけど。だけど、そんなの屁理屈。後

付けの言い訳にしか過ぎない。生きるということは、いま、ここにいる私

自身が誇りを持って「何か」のためにここにいるんだって思うことができ

なければ意味がないと思うから。それに・・・・・・

 私はかつては役に立っていたことを知っている。うっすらとだけど覚え

ているのだ。単純に、明快に、私はある人のために存在していた。私がい

なければ、その人は生きて生まれることができなかったはずだ。私がいた

からこそ、その人が生まれた。だけど、その人が生まれてしまった後、私

の役割が終わってしまったんだ。役目を終わった者には何が残る? 役目

を終えたんだから、プライドを持って余生を悠々と行きなさいだって? 

あなたならそんなこと許される? 役目を終えた後の長い長い人生を、何

の目的も持たず、なんの使命を帯びず、ただ息をしているためだけに生き

るなんて、そんなことできる? ああ、退屈過ぎる余生! 私にはそんな

こと我慢できない。我慢できないのに、死ぬわけにもいかない。だって私

一人では死ぬことさえ許されていないんだもの。

 世の中には、年老いて、役目を終えて、死ぬまでの余生を楽しんでいる

人は五万といるわ。だけど、私の場合は、生きている時間の九割以上が余

生なんだよ。生まれてすぐに役目を終えて、残りの九割以上の時間を、宿

主とともに生き続けなけりゃならないなんて、地獄みたいなものよ。

 敢えて「宿主」って言い方をしたけれども、私は、私は、私が役に立っ

てあげた人の一部でしかないの。一部どころか、ネジ一個くらいの存在ね。

でも、確かに私がいたからこの人は生まれた。役割を終えた私は、その時

点で消えてなくなる仕組みだったらよかったのに。私の半分はその時点で

切除されて消えてしまった。私がその消えた方の部分だったらよかったの

に。私はいつまでもこの人の真ん中に傷跡のように存在している。何の意

味もなく。ただ、ほ乳類の証を示すためだけに。私、そう、臍ってそんな

運命にあるの。

                       了

続きを読む


読んだよ!オモロー(^o^)(1)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。